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こだわ(れ)る


自分は
嫌いなものがそんなにない、
拒否をそうしない。
あるものでいい、
無いものを強く求めない。
そんな所を、やや長所くらいに思っていた。

まだ少しくらいは長所かと思ってもおります。

5%

最近よくかまってくれる、一回り年上の職人が居ます。

(一回りって元の数値からどれだけ離れた時のことなんだろ、毎回思う)

その職人はまさしく、職の人で。
人間が太いというか、
物を眼球を通して見てるというよりも、感覚で捉えて本質で抑えてるような人。
会ったら分かるんだけど、なるべくしてこの人間になってる感じ。

その人は好きなご飯が各地にあって、気分でご飯を選んで、
「あそこのあれが美味いんよ」と話してくれる。

20%

よくご飯に連れて行ってくれて、同性でしかない話をしたり、くだらな過ぎる話を一頻りキャッチボールしたり、とにかく凄く良くしてもらって。
羅列する言葉の薄っぺらさ、会話になった時の心地良さ、明日には覚えていないコンビニエンスな娯楽感、その全てが良い。

と、同時にそこにはとっても美味しいご飯があった。

聞いたことないような名前の魚の煮付けとか、大皿いっぱいに綺麗に広がった豚しゃぶサラダとか、あとあそこのソーキそばが美味かった。

55%

ご飯を「何でもいい」とするのと、
「これがいい」にするのは自分には凄くハードルの高いものと言うか、体力使うことで。
結局「これでいい」というぬかるんだ着地点に不時着する。不時着でもない、パラシュート落下。何となくそこに着いただけ。

心のどこかにはきっとあった感覚。
別に蓋して隠してたわけじゃないけど、いつしか気にもとめなくなっていたあれ。
「本当に欲しいものは一体何か」

そして、本当に欲しいものが何であったとして、
それを手に入れることが出来た場合のその先
不覚にも手に出来なかったときの向こう側
ここにこそ、きっと楽しいがある。

手に入れるまでの道中もそうなんだろう。
今日の夜は焼肉を食べるとして、それを踏まえて朝と昼は何を食べるのか。仕事が残ってるのなら、片付けて肉を焼いた方が格段に美味いのなら、そうするべきだと。ただ、そうも簡単にはね、いかないよねって、じゃあどうしましょうかと。

おおよそ、こんな風にロジックで考えてる時点で、もう素直さは無いんだけど。

こだわるは、メインじゃなくてスパイス。
より刺激を、深みを、クセを託す
人生を進む上での香辛料、、なのだろうと、きっと。

80%

チェーンのお店のお通しも、美味しいとかどうとかじゃなくて
なんか嬉しい時あるよね

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