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フィジビリティは動く。(第3回「アートとコピー」感想戦だい)

はー、疲れてきた。めちゃくちゃ楽しいし面白いんだけど、常に考えていて疲れる。企画が仕事の人って夜ちゃんと眠れてます?こう、考えたり調べたりするのをやめられなくなっちゃって、不眠にならない?そんな壁にぶつかっている第三回。テーマは「いい企画書とは」でした。

ちょっとずつ増してくる手応え。

アートとコピーには、「どういう課題が出ているか等の具体的な話は外でしないでねっ」っていうルールがあったような気がするので、ボカそう。とにかく今回はペアを組んで企画書を作りまくった。
相方の着想力が抜群。直感的に「それ楽しい!」と思うアイデアをいっぱい出してくれる人だった(だから私も刺激を受けてアホみたいな案を色々出すんだけど別にこれは大して質が高くない)。さらに言えば企画書の最終仕上げ段階からのデザイン的「詰め」も鬼のよう。すげーすげーと言いながら内心「私このままだとヤバない?」という焦りも出てきて、でもなんだろう結局、色々とよっかかってしまった感はあります。すみません(アート生の作業量が多くなってしまうのはホントどうしたらいいんだろう・・・)。でも楽しかったし、初回のペアよりかは互いの仕事と仕事が混ざり合ったというか「この二人だから、こういうアウトプットになったんだな」というのが後から振り返っても痕跡として残っているものができた気がします。いろんな意味で「まだ終わってない」ので引き続きゴリゴリやります。(こうやって少しずつ共同作業が上手になって、最初のペアともまたいつか組めるといいな。)

さて、いい企画とは、読みやすい企画書とは。
これは、阿部さんの名著「心をつかむ超言葉術」に書かれているので、私が下手に説明するよりそちらを読まれた方がいい。丸投げ御免。
その本に書いていないことをここでは書きたいと思います。今回の課題フィードバックで、企画の評価基準の「フィジビリティ(実現性)」に関して面白い話があった。
かいつまんでいうと、「是が非でもやりたい!と思えるような面白い企画なら、実現に向けていろんな困難が想定されてもなんとかやりきろうと思うんだけど、ワクワクしない企画だと”実現が難しいよねぇ”とフィジビリティを言い訳にして落としちゃう」という話。言い訳!!!
でもこれは苦笑いしながらも首肯せざるを得ない、わかりみがありました。実現性なんて、気持ち一つで変わるってこと。
(アートとコピーが始まってから、非常にシンプルな人間の行動原理みたいなものをよく学んでいる気がするなぁ。)


ここから下は講義と関係のない独り言です。

さて今回、できるだけたくさんのアイデアを出して、可能性のありそうなものは片っ端から企画書のラフにしていったんですけど、その中で思うことが。
頑張って説明しようとしたり、伝わるように伝わるようにと腐心しなきゃいけない企画書は、そもそもアイデアが悪い可能性ある」。
総じて、いいアイデアはコアがシンプル。
だから途中であれこれ説明しなくても、「はーん、なるほど」って大体伝わる。大体伝わる中でちょっとした表現の妙があるから楽しく受け取れる。

ということに気づいてからは、だいぶ捨てた。これは説明が混線しそうだな、と思うものは捨てた。これはこれで一つの気づきだったと思う。誰も「わかろう」なんてしてくれない。さっさと「わかる」ものがこの世を制するのだ。

しかし同時に、難解なものでも一生懸命理解しようとする力にも価値はあるし、「難しいもの=面白くないもの」では決してないし、複雑なものを複雑なまま受け取っている時間がそのずっと先で何かに結実することもある。などとも思った。(と言っておかないと、自分のように心や頭の整理がつかない時間を相当ながく生きるタイプの人間が浮かばれないというのもある)

ともあれ、伝える側に立つときは、できるだけわかりやすく伝えることに努めよう、と思う。また伝えやすいネタを選ぶことも重要かもしれない。でも、受け取る側に立った時に、「君の伝え方はわかりにくいからダメ」っていう態度になっちゃわないこと。当たり前のことなんだけど、私のように影響されやすい人間は、ずっと広告のこと考えてたらなーんかそういう嫌な態度を取るようになるような気がしてさ。それからすごく難しいことや、言語化しにくいことを、よくわからないからと捨て去っていかないこと(人生においては)。こういうことを、今一度、この段階で自戒しておこうと思ったのでした。

最近自分がほとほと嫌になる、ことがある。才のない人間はせめて努力をしながら機嫌よく楽しく生きていればいいと、それくらいの割り切りはあるけれど、自分の周囲に規格外の才能を持った人が多すぎて(しかも総じて心まで綺麗)比較する心が出てくるとウッとなる瞬間がある。自分醜いなぁ。しかし「すごい人」は決して「私のずっと先」を歩んでいるわけではない。そもそも人間は皆「別の道」を歩んでいて、先でも後でもない。わかってる。わかっちゃあいるけど、秀でた人々の”仲間”にはなれない自分を寂しく思ったりね。70歳くらいまで頑張ればなんとかなる?なるって誰か言って・・・笑。

今日のヘッダーはいちごの花。花言葉は「先見の明」。先を見る力に優れた、ひとまわり年下の素晴らしい相方に贈ります。花言葉って、モノ(花)と詩の交点にあるものな気がして、「アートとコピー」のヘッダーにずっと使っています。


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