一 出会い

  少女は、屋上に座り込み、昼食をとっていた。

 髪の毛は長く、おそらく背中の中ほどまで伸びている。翔太の立っている位置からは、少女の横顔しか見えなかったが、日本人にしては高めの鼻と大きめの目から、整った顔立ちであることが容易に知れた。

 しかし、それは翔太が今まで見てきた「かわいい」という顔とはどこか違っていた。今にも消えてしまいそうな、触れば崩れてしまいそうな、そんな繊細な雰囲気が彼女の周りを包んでいる。彼女の周りだけ、まるで音が消えているような静けさを感じさせた。

 どれだけの間、無言でその少女のことを見つめていたのかわからない。

やがてゆっくりと、少女がこちらを振り向いた。

正面から見たその顔はやはり整った顔立ちで、十人が見たら十人が美人だというようなものだった。

「あ…」

 少女に見つめられて、翔太はどうアクションを起こせばいいかわからなくなった。その無表情な視線が翔太に突き刺さり、無言の時間が漂う。

 そのままいれば、少女が何か声をかけてきたかもしれないし、こちらから声をかければ何かしら向こうもアクションを起こしたかもしれない。しかし、結果的にはそのどちらも起こらなかった。

 屋上へと続く扉を閉めて、翔太は階段を駆け下りていたからである。なぜ自分がそうしているかは理解できなかったが、しかし気付いた時には体が勝手に動いていた。

 あの子は誰だろうか。なぜあんなところで一人昼食をとっているのだろうか。

 次々と浮かんでくる疑問を抱えながら、翔太はその日、結局体育館裏で一人昼食をとった。

 昔から、友達は多いほうではなかった。

 人とおしゃべりするのが苦手で、引っ込み思案な性格も相まって、学校ではほとんど誰とも話さず本を読んで過ごすことが多かった。休日友達と遊びに行く回数も少なく、ただただ毎日を過ごしていた。

 それでも高校に入ったら変わりたい。友達を作って、今までのようなさびしい生活から抜け出すのだ。

 そう考えていたのだが、現実はそんなにうまくはいかず、気がつけば友達を作る流れに一人取り残され、昼食を一緒に食べる相手もいないという現状があった。授業などがある時間は教室にいても不自然ではないが、昼食の時間は一人で教室にいるのがいたたまれなくなり、とうとう入学式から三日目、弁当を手に教室を飛び出した。

 そのとき見つけたのが屋上という自分だけの空間で、そこにいるときだけ、翔太は穏やかな気持ちでいることができた。そこにいれば、教室の喧騒の中、一人さびしく弁当を食べる必要もない。周りから変な視線を向けられることもない。屋上だけが、翔太が学校内で唯一安心できる場所だった。

 しかし昨日、その唯一の場所にあの少女がいたのである。

 その少女のことを思い出しながら、翔太は今日も階段を上っていた。

 昨日は何も言わず、思わず逃げ出してしまった。なぜ自分があの時逃げ出してしまったのかは今もわからない。彼女に出て行けと追い出されたわけでもないし、そもそも声すら掛けられていない。しかし、翔太の体は気づいたら動いていたのだ。

(今日も、いるのかな)

 階段を上りきった場所に見える扉を見つめながら、翔太は考える。もしいたら、これからどうしようか。昨日のように体育館裏で食事を取るという方法もあるが、あそこは日当たりが悪くどこか気分を沈ませる。ほかに一人静かに過ごせそうな場所を探す手もあるが、それはそれで面倒だ。できたら屋上は手放したくないのだが、あの少女がいた場合、自分があの場にはたしてとどまれるかどうか。

 そんなことを考えていると、いつの間にか扉の前にたどりついていた。鍵が掃除用具入れの裏にあるかどうかは確認せず、とりあえずドアノブをひねる。すると、昨日と同じように今日も扉は開いていた。

 ゆっくりと、翔太は扉をあける。

 そこには、昨日と同じ少女が一人、昼食を食べていた。

「あ…」

 昨日と同じように言葉にならない声が思わずもれる。するとそれに反応したように、少女がこちらを振り向いた。

 翔太と少女の視線がバッチリあう。昨日はこの時点で逃げ出してしまっていたが、なぜか今日は体が動かなくなった。

 それは、自分の中で少女に対する興味が生まれていたからかもしれない。たった一人で、自分と同じように屋上で昼食を取っている少女。なぜ彼女はここにいるのか。なぜ一人で昼食を取っているのか。昨日浮かんだ疑問がフラッシュバックする。

 視線があって、数分後か、はたまた数秒後か。少女はゆっくりと視線を翔太から移し、また元のように昼食を食べ始めた。その様子からは翔太に対する拒絶も、受容もみられない。

 勝手に昼食に戻ってしまった少女を、翔太はまたしばらく見つめていたが、やがてゆっくりと、前に歩き出し、そして校内へと続く扉を閉めた。

 屋上には春のさわやかな陽光がさし、穏やかな風が吹いていた。どこから飛んできたのか桜の花弁がちらほらと落ちていて、無機質なコンクリートに不器用なイントネーションをえがいている。

 そんな殺風景な屋上にいる少女は、しかしそこにいるのがあまりにも自然に感じた。風景に溶け込んでいるわけでもないのだが、しかし存在感を出し過ぎてもいない。それは彼女が作り出す独特の雰囲気のせいかもしれなかった。端正できれいな顔立ちだが、どこかはかなげなそれは自己主張する華やかさとは全くの別物である。翔太はしばし、その少女に見とれていた。

 どれほどそのように固まっていたのかわからない。そんな状態の翔太が再び時間を取り戻したのは、少女が問いかけるような視線をこちらに向けてきたからだった。翔太の体が緊張でこわばる。その段になって初めて少女をじろじろ見ていたことを恥じ、とにかく謝らなければと頭が回転しはじめた。

「あの…」

 翔太が発した言葉に、視線だけだった少女がまた顔ごとこちらを見つめてくる。その顔を正面から見た瞬間、なぜか翔太の口からは意図していたこととは全く違う言葉が出ていた。

「ここで、僕も弁当食べていい?」

 しばしの沈黙。その間、翔太の脳内では何言ってるんだ俺! という後悔の叫びが響き渡っていた。昨日逃げ出したやつが今日また来て、じろじろ自分のこと見つめて、挙句の果てに弁当食べてもいいとか、バカだろ! 最悪だろ!

 そんなふうに心の中で自分を罵っていた翔太だったが、少女は全く気にとめた様子もなく、コクリとうなずいてまた昼食を食べ始めた。

 そのあまりにもそっけない反応に少し面喰いながらも、翔太はその場におずおずと腰をおろして、弁当を広げる。いつもとほとんど変わらない、いつも通りの弁当だった。

 そのまましばらくの間、無言で翔太は弁当を食べ続けた。少女のほうも別段話しかけてくる様子もなく、もくもくと弁当を食べている。翔太の中で、またしても少女に対する興味が大きくなり始めた。

 この少女は何者だろうか。上履きをみる限り自分と同じ一年生のようだが(上履きのラインの色で学年がわかる)、ならば何組なのか。ここで昼食を食べているということは友人はいないのだろうか。自分のようなやつといっしょに弁当を食べて嫌じゃないのだろうか。

 疑問は次々に出てきて、なんとか聞いてみようとちらちらと視線を少女のほうに向ける。しかし、言葉はあと一歩のところで何かに遮られ口から出てこない。

 そんな状態でいると少女は翔太よりも一足早く弁当を食べ終わった。そのまま弁当を片づけて、立ち上がるのかと思いきや、どこから取り出したのか文庫本を取り出し、それを読みだしてしまった。翔太に対してのリアクションが一切なく、翔太の中で興味と疑問がさらに膨れ上がる。しかし、やはり少女に話しかけることはできなかった。

 そのまま時間は過ぎ、あと五分で授業が始まるという段階で、少女は文庫本と弁当箱を持ち立ち上がった。弁当を食べ終わってからも、何をするでもなく屋上に座っていた翔太は、あわてて少女に問いかけるような視線を投げる。しかし、少女は翔太にかまわず、その横をさっさと通り過ぎようとした。

「あ、あの…」

 翔太はあわてて呼び止める。校内へと続く扉に手をかけたところで、少女がぴたりと止まってこちらを振り返った。その拒絶も受容もしない視線に、翔太は吸い込まれそうになりながら、ひとこと聞いた。

「君、その、名前は?」

「…清泉、楓」

 帰ってきた返答は、少女の雰囲気と同じようにはかなげできれいな音色のようだった。

「…あなたは?」

 そのまま立ち去ってしまうのかと思いきや、逆に聞き返されて翔太は少し面喰う。しかし、すぐさま答えなければと急いで口を開いた。

「あ、相田翔太」

「…そう」

 そう言い残して、少女は校内へと戻っていった。

 これが、翔太と楓がかわした最初の言葉だった。

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