二 視線の先

 次の日以降も、翔太は屋上へと行き続けた。

 楓はそこにいつもいたし、いつも一人で昼食を取っていた。

 翔太が行くと必ずこちらを無言で見るのだが、楓から声をかけてくることはなかった。昼食を取っていいか翔太が訪ね、楓が無言で首肯する。そんなお決まりのパターンで、お昼の時間はいつも始まった。

 初めのほうはおどおどして何も話しかけられなかった翔太だったが、楓と知り合って早一週間。その間にかわした会話は時間の割に少なかったが、それでも大分楓のことを翔太は知っていた。

 クラスは五組。毎日弁当はここに食べに来ているということ。学校までは自転車通学で、三十分ほど時間がかかることなど。

 そのほとんどが翔太が質問し、楓が答えるという会話で知りえた情報である。楓は基本尋ねられない限り話さないということも翔太はわかってきていた。翔太が質問をして、楓は一言それに答えるだけ。そこから会話が発展することもなく、すぐに会話は途切れてしまうのだが、なぜかそこに気まずさはなかった。それは楓に拒絶されているという雰囲気を感じなかったからだろう。自分ももともとおしゃべりができない性格なので、他の友人たちと一緒にいるときのように、会話を途切れさせないように必死になる必要がないのは、翔太にとっても心地のいい物だった。

 そんな関係のまま、今日。少し曇り気味の空の下、翔太はいつも通り楓とともに屋上で弁当を食べていた。

 二人の座っている位置は依然離れている。拒絶されていないのだから、もう少し近くに行ってみようかとも考えたが、その分受け入れられている雰囲気もあまりないため、翔太はその距離を埋めれないでいた。近くに座ったほうが話しやすいことは話しやすいのだが。

 そんなことを考えながら翔太が弁当を食べている時だった。

「ねえ」

 いきなり声を掛けられて、翔太は驚いて振り向く。楓は無表情で正面を向いたまま、箸の動きだけを止めて、口を動かした。

「どうして、毎日ここに来るの?」

 翔太の心臓が跳ねるのがわかった。楓から声をかけてきたことなど初めてだったからということもあるが、それ以上に言葉の中身が胸に刺さった気がした。

「あ、えっと…、やっぱり、来ないほうが、いい?」

 とても小さい声で、最後のほうは相手に聞こえたかどうかわからない。まだ楓は何も言っていないのに、弁当を片づけようとしてしまっている自分の手がどこか卑屈である。

「ただ、気になっただけ」

 しかし、楓から帰って来たのは純粋な疑問を表す言葉だった。翔太はその表情を注意深く観察するが、やはりそこには拒絶も受容もない。

 翔太が何と答えていいかわからず黙り込んでいると、楓は答えを促すようにこちらを向いた。視線が合い、その透明度の高い瞳に吸い込まれそうな錯覚を受ける。

「えっと、弁当、食べる、友達が…、その、いない、から」

 さんざん悩んだ挙句、出てきた答えは正直なものだった。いった瞬間恥ずかしくなり、相手がどんな反応を示してくるか怖くなる。しかし、翔太の心配をよそに楓からの感想はひどくそっけないものだった。

「そう」

 そう呟いてから、また弁当を食べ始めてしまう。翔太はどう対応していいかわからず、楓の横顔をしばらく見つめていた。しかし、その無表情な横顔からはやはり何もうかがい知ることは出来ない。

 しばらく楓を観察していたが、結局何も変化がないためおずおずとまた自分の昼食に戻る。一口食べて、ちらりと楓をうかがったが、やはりそこにはいつも通り正面を向いて弁当を食べ続ける楓の横顔しかなかった。

「…ねえ」

 少しためらいがちに、翔太は声をかける。すると、楓は視線だけをこちらに移した。

「その、清泉さんも、どうして、ここで弁当食べてるの?」

 聞いてから、やはりやめておくべきだったと後悔した。初めは、楓から質問してきたから自分も質問していいと思ったのだが、考えてみれば自分も答えるのが嫌だったことを、相手も快く感じることはあまりないはずだ。急いで訂正しなければと口を開こうとした翔太だったが、それよりも先に楓のほうから口を開いた。

「私も、いないから」

 そう答えて、楓はまた正面を向く。

 何が、とは聞かなかった。そんなもの、聞かなくてもわかることだったからだ。

 気まずい雰囲気が漂い、翔太はなにか話題はないかと考える。しかし、自分がもともとおしゃべりが得意でないうえに、楓もほとんどしゃべらないとあっては、雰囲気を変えるような話題などそうそう思い浮かばない。

 どうすればいいかと、無意識に楓のほうを見ると、やはり楓は正面を見つめて昼食を食べているだけだった。

 そういえば、楓はいつも何を見ているのだろうか。

 ふと疑問に思い、翔太は楓の視線を追う。そこには、町と、遠く離れたところに山が見えるだけだった。

 屋上から見える風景を楽しんでいる。ただそれだけかもしれないが、それにしては、楓の視線は一つのものに固定されているように翔太は感じた。それは手前にある街ではなく、遠くに見える山を見据えている。そんな気がした。

「いつも、何を見てるの?」

 気付くと、ポロリと疑問がこぼれていた。

 楓がこちらを振り向いて、尋ねるような視線を送ってくる。翔太は少し焦ったが、もう出てしまった質問は取り消せない。

「あ、その、いつも弁当食べてるとき正面見てるから、なにか見てるのかなって思って」

「…山を、見てるの」

楓が視線を戻しながら、静かに答える。翔太もそれにつられて視線を移動させた。

学校の屋上から見える、少し遠いところにある山。正確には山が連なって、ちょっとした山岳地帯のようになっている。翔太たちが住んでいる街は、その山々に囲まれているような形になっていた。

記憶が正しければ、確かあの山岳地帯はちょうど県境となっていたはずだ。別段遠いわけではないが、気軽に行けるほど近くもない。

「どうして、山を見てるの?」

 楓が見つめているであろう山を見つめながら、半ば無意識のうちに尋ねる。楓のほうを見ないで質問したのは初めてだったが、なぜか楓と同じものを見ていたいという気持ちのほうが強かったため、気にはならなかった。

「…あそこへ、行きたいから」

 楓の答えに少し歯切れの悪さを感じて、翔太は楓に視線を戻す。楓は、昼食も食べずに、じっと黙って山を見つめていた。

 どうして、という疑問は、なぜか翔太の口からは出てこなかった。

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