虚構の劇団「ホーボーズ・ソング HOBO’S SONG 〜スナフキンの手紙Neo〜」

先日やっと仕事のデスマーチの終わりが見えかけたので、観劇してきました。

6月に参加した鴻上尚史さんのオープンワークショップでご一緒した、虚構の劇団の池之上さんが出演中です。


これから全国ツアーもあるので、ネタバレはありません。

ひとこと、おもしろかった!こないだの「朝日」の時に感じたような青春の答え合わせではなく、「今」の物語でした。ああ、この緊張感、この怒りや焦燥……私が大好きな鴻上脚本!

第三舞台、鴻上さんの脚本は私にとって、同じ時代を生きる少し先を見てるお兄さんたちの物語でした。私が抱えている鬱屈や孤独や焦燥を、同じように少し先を生きる人たちも抱えていて、それをどうやって抱えたまま走り続けるのか。彼らの背中は私にとってはあこがれでした。

ところが、一時期私は鴻上さんの背中を追い抜いてしまったように思えてしまった時期がありました。

00年代の頃です。2ちゃんねるが巨大化し、まさに世界がインターネットで変貌を遂げる時代でした。その当時、私や友人はインターネットの悪意の洗礼を受けているまっただ中でした。

己のあずかり知らぬところで、あらぬ誹謗中傷を受け、毎日のように殺人予告のような脅迫メールが届き、叩かれ、罵られ、傷つけられ、物見高く観察され、報告され……一緒に活動していた友人たち以外はすべて敵でした。 むろん、今思えば私たちの対応に問題があったことも否めません。叩かれ続け頑なになっていたのです。

その頃、第三舞台のお芝居を何本か観ました。そこで切り取られている現実が私にはあまり響かなかった。そこに描かれている焦りや怒りや絶望は、私から見たらすべて借り物のように思えてしまったのです。いつも私に何かしらの答えをくれた鴻上さんが、未だ迷い正体をつかめずいるような、そんな風に思えてしまったのです。

あの時、私は、ああ、私は鴻上さんより前に出てしまったんだなと、その時は思いました。それがいいことなのか、悪いことなのか、その時の勘違いなのかはもう分かりません。ある種の諦念を覚えたのは確かでした。

それから数年。私は人との交流を極力避け、ほとんど新しい交流を断った状態で生活していました。そして、何を思ったか突然に交流を再開し、ツイッターをはじめました。10年代です。

第三舞台ないし、鴻上さんの作品の話をすると、どうしても私自身の人生や来し方を語らざるを得ないのです。そのくらい、私にとっては人生をえぐられた作品であり、常に私の根底にある作品なのです。

10年代に入ってから、多分私はまた鴻上さんと同じ地平を、鴻上さんの背中ごしに見ながら、時には同じラインに立ちながら見てきたような気持ちでいます。高校時代のあこがれるだけの何者にもなれない、なににでもなれる自分から、なんとか何者かにはなれたような気持ちでいる今、また全く違う心持ちで地平を見ています。

「ホーボーズソング~」は改めて、やはり鴻上さんは私の少し先を歩くお兄さんだなと(笑)実感させられる作品でした。

若い俳優さんたち、みんな素敵でした!


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