劇団漠14年度卒業公演

観劇してきました。野田秀樹「赤鬼」

よい原作をコミカライズする、よい脚本を上演する、よい小説よい漫画を映画化する上での弊害について考えてみる。

脚本がいいと、それをなぞるだけでも十分に見るに足る演劇になってしまう。

原作がいいと、ある程度の形になりさえすれば、漫画としてもそこそこ良作ができあがる。

よい小説の映画化は、原作を改変せずそのまま作ることで、ある程度読者を満足させられるし、映画としてもそれなりの完成度に達する。

受取手はそれで十分だと思うけれど、作り手はそこから一歩前に進むことを常に考えないとならないし、評価が原作のものなのか、自分のものなのかをよく考えないとならない。

感動した、泣けた、よく出来ていた、からさらに一歩前へ。

名作であればあるほど、その壁は高い。

場合によっては、改変、失敗作などと言われる事も覚悟しないとならない。

自分がここ数年そういう原作と向き合うことが多かったせいもあって、実は昨日の漠の芝居については、その辺りで辛口な感想を持ってしまった。

おもしろかったのは、脚本がよかったからなのか、演出がよかったからなのか。

もちろん演出方法なども工夫されていたし、役者もおもしろい子が多くてよくできていたと思う。しかし、この舞台がおもしろかったという感想は、脚本の良さなのか、そこから一歩も二歩も踏み込んだ所までやってみた結果なのか。

個人的には、その踏み込みがまだまだ浅かった気がする。

卒業公演なので、ご祝儀的な意味合いが大きいし、伝えるべきかどうか迷ったんだけれど……それと、千秋楽だったし、余計な水をさすのもと思ってしまって、当日は触れずに帰ってきてしまった。

今思えば、失礼だったかもしれないと少し反省。彼らがカンパ制とはいえお金を取ることをプロと同じような意識でやっていたのだとしたら、きちんと感想を述べてもよかったのかもしれない、

上手にまとめていたが故に、もう一押し欲しかった。

つか、このテキストフォーム、改行するといちいち行間出来ちゃうの!?

うわああああ……嫌いだな、この文字組……

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