コンプレックスと自信

世界の動き、
Twitterに溢れる差別の話

ずっと最近、頭の中これ↑なんだけど。

*まず、私の爆走が暴走になりかけてる時に、軌道修正したり、灸を据えてくれる周りに本当に感謝です。

で、内容

自己アイデンティティと向き合うのって本当にキツいし難しい。

Twitterで話題のハーフの子、
凄く気持ちは分かる。(私はハーフで無いから分かるとか言ったら微妙かもだけど。)
まわりの"違うもの"に対する好奇の目って、例えそれがマイナスの感情から生まれたものじゃなくても抉られる。

こういう、心が抉られたことで、周りに対して持つ負の感情って、なかなか捨てられないんだよね。

でもコレって一人一人の頭の中をコントロールできるわけじゃないし、もう自分が強くなるしかないんだと思う。
頑張って心が壊れかけてる人に「強くなれ」は残酷だけど。
ここでいう「強く」は、「好奇の目に負けるな」じゃなくて、自分と折り合いを付けるって言うことで…

私も泣いて泣いて「日本嫌だ」とか、「世の中理不尽だ!」とかずっと思ってるけど、
だから出来る限り将来、同じ事で苦しむ人が減ればいいと思って、大学や将来を選んでるし、経験談として話してる。

ネタにしてる場合もあるし、
ステータスにする場合もある。

他者との違いを、自分が自分を他者との関係の中でどう捉えるかによって、それが「自信」になるか、「コンプレックス」になるかが別れると思う。

"違う"ところをコンプレックスにして、他人と喧嘩したり、拒否したりしても余計に自分の心も抉る気がしてならない。
自分が排他的になったら相手と同じになってしまう…

だから本当に、私をここまで思えるようにしてくれた周りの人に感謝だし、
彼女にもネット上の「応援してます!」って文字だけじゃなくて、ちゃんと支えてくれる人がいればいいなって思う。

こういう所謂"違い"に苦しむ人に、自己肯定感を持つように促す言葉をよく見るけど、そもそも私は、"そこ"が、自己肯定感を持てないような、コンプレックスから抜け出せないような環境なら、
思い切って離れてもいいと思ってしまう。その勇気がいると思う。
鍵アカウントじゃないTwitterも、
現実社会のコミュニティも。

いつ死ぬかわからないのに、そんな環境に時間や精神力を割くのはもったいない。

それが、許されないのなら、
悲しいけど相手を人間じゃなくて、
自分が生きるためのカネや、経歴のための道具だと思って、
テキトーに離れられるタイミングを見計らう。

他人の為に生きるのも大切だけど、
自分の為に生きる上で、他人の為にも生きないと、自分である意味が無いよ。多分。

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