寺大&手須【連載2】

次はpixivに行かざるを得ないかもしれない

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「すみません、本当にご馳走になって良いんですか?」
「何言ってるんだお前、歳上に恥かかせるのかよ」
「ありがとうございます、須崎さん」

 店を出ると二十一時過ぎで、少しだけと言いながらも安い大衆居酒屋で二人は三時間近くも居座ってしまった。
 須崎は下戸で酒が飲めないにも関わらず、珍しく薄い焼酎を緑茶で割った物を舐めており、その隣で寺島は生ビールを二杯と日本酒を一合。あとはハイボールをひたすら呷っていたが、気の置けない者同士で飲む酒の席とはこんなに心地良いものなのかとも思った。
 取り立てて美味いという事はない揚げ物に冷凍の枝豆。それからホッケの一夜干しを突きながら寺島は須崎の横顔に何度も目を奪われていた。

 好きなのだ、この男が。
 それはもう口にしないと、自分自身で決めた咎であるのにこうして横に並んでしまえばそんな決心はいとも容易く打ち砕かれてしまう。

「須崎さん……その、よかったらもう一件いきませんか? 珈琲屋なんですけど、落ち着いた雰囲気の店がここから少し行った所にあるんです。須崎さんのご自宅の近くですから」
 寺島は須崎を誘う時、どうしようもなく情けない顔をしているのだと自覚していた。恐らくそれは須崎にも伝わっているだろうし、どうしても自分の中にある感情を飲み込む事ができないのだ。それどころか、こうして須崎の負担に極力ならない様な店を選び暗に拒否しないでくれと叫んでいるのだ。それ程までに断られる事を怯えている。
「……俺は構わないがお前はいいのか? 待っていてくれる奴もいるんじゃないのか」
 須崎の優しさに甘えている自覚があるも、寺島は強く跳ね除けられないこの男の優しさの上に胡座をかいている自分自身を自嘲した。手に入る筈もなければ、恋人との暮らしを捨てる事もできない自分は愚かで、狡猾で、そして欲にひたすら素直だ。
「いえ、ツレも今日は友達と出かけていますから」
「そ、そうか……けれどあまり遅くならないうちに……て、寺島っ」
 寺島は突然無意識に須崎の手を捕まえるとそのまま繁華街を小走りに駆けた。きつく払えばいいのにそれでも寺島に可否を委ねている須崎が今は少し憎い。金曜の新宿は華やかでそして底知れずいやらしくもある。須崎の手を握りしめながらいっそ、珈琲屋なんて行かずどこかのモーテルにでもしけこんでやりたくなるが、寺島は断崖の境界線を彷徨いながらもふいに視線の流れた先、目を留め思わず足を止めた。

「……寺島? どうかしたのか」
 寺島は狭いビルのあいさを一点に見つめていた。一階に立ち飲み屋がありその奥には洋食屋とクリーニング屋が軒を連ねている。そうして更にその奥は行き止まりになっているが、そこから半地下に入っていくと連れ込み宿がある事を寺島は知っていた。
「いえ……今、知り合いに似ている姿を見た気がしたのですが、気のせいでした」
 眉根を寄せ、寺島の顔を覗き込む須崎は明らかに心配そうな面持ちで寺島が視線を止めた先に目をやる。今は休憩中の店員や酔っ払いが数名居るだけで他に目立つ人影はなさそうであった。
「気になるなら、行くか?」
 寺島は須崎の言葉に軽くかぶりを振ると、人違いです。すみません、と分かりやすく笑うと手軽くを上げた。

 何故、今なのか。
 否、いっそ見なければ気づかなかったのに神様という物は本当に意地が悪いと寺島は唇を噛み締める。そうして、ああやはり今日は最低の星回りなのだと自分を慰めながらもその雑居の奥には二度と目をやらないと決めた。
 大輔だったのだ。見間違えではなく、寺島の恋人である大輔が同じ背格好の男に腰を抱かれたままビルの先、奥まった暗闇へと消えていったのを寺島は確かにこの両の眼で捉えたのだ。
「……天罰だな」
「ん、何か言ったか?」
 タクシーを拾い、寺島は須崎を半ば強引に押し込むと一刻も早くこの場所から姿を消したくて逃げるように新宿を飛び出した。
 須崎の自宅である北区を目指して車は進み、寺島の脳内から珈琲屋の事は消えかけていた。やはりあれは大輔で間違いはない。いつかの誕生日に寺島がプレゼントした薄いカーキ色のモッズコートは大輔の気に入りだったし、暗くてもツンと毛足を立ち上がらせた髪質には否と言う程覚えがあった。
 寺島は薄く息を吐き出すと視線を窓の外から隣に座る須崎へと移す。その目に気づき、須崎も寺島を見つめると思わず喉が動く。
「バカな男に、天罰が降ったんだ」
「何を……っ、寺島!!」
 思わず声を上げそうになり、須崎は自身の手のひらで口元を抑えた。見れば寺島の手が須崎のスラックスの内腿を優しく撫で上げていた。ここがタクシーの中だと知っての事だと思えば、須崎はその手を掴むと視線で叱責する。しかし寺島は今にも泣き出しそうな瞳を須崎に向けながらも、すみません。と小さく溢し押し黙った。

「……雨、また降ってきましたね」
「あ? ああ……傘は、ないな」
 無口な初老のドライバーがワイパーを動かしガラスに散った雨粒を拭う。その一定のリズムを目で追いかけると寺島は須崎の膝を回す様に撫でつけた。
「浮気なんてするから、浮気されるんですよね。俺」
「……タクシーの中だぞ」
「自業自得なんですよ、結局」
 須崎は力無く項垂れる寺島の肩をそっと叩くと、糸の様な雨をひたすら見つめた。そうして夜の雨に霧立つビル街の電飾を見つめながらスーツの合わせを手のひらで抑えると、心臓がいつもよりやや早く打つ音を耳で拾った。