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見合いのことわりかた〈及加及〉

及川と加納のクロスオーバーふたたび。


 金曜夜の居酒屋は、週の疲れを発散すべく連れ立ってやってくるサラリーマンでごった返していた。普段ならば及川は滅多とこういった大衆酒場には出入りしないが、今日は待ち合わせであるから仕方がない。尤も、今は騒がしい店の方が都合が良い。木を隠すのは森の中、と言った所だ。

「すみません、お待たせして」
 及川が生ビールをゆっくり一杯、飲み終えると同時にその男はやってきた。蒸し暑い日だったというのに、きっちり上着を着込み髪の乱れひとつもない。男が店に入った途端、どこか空気の流れが変わった様な気さえする。
「いや、偶にはゆっくり本でも読みたかったから気にしなくていい」
 及川は男、加納祐介に先程駅で買い求めた文庫本を見せた。加納は美しい目を細めると、よかった。と笑いレモン酎ハイをオーダーした。

 及川と加納はいわゆる、同族だった。互いの脛に傷がある事を知っているが故の関係で、そこに恋慕の情はない。ただ、人生において一時の幕間を埋める間柄であるのだ。
 逢瀬は多い時で月に二度。三ヶ月顔を見ない時もあるが、久しぶりに桜田門で姿を見かけたので声を掛けたのは及川からであった。すると、すぐさまその後電話があり、聞けば何やら相談したい事があるとか。間違っても仲が良いといえない刑事と検事だ。側から見ればどう言い訳してもボロが出るだろうが、そこは聡明な加納と及川。上手く、やっている。

「何か、相談したい事があるとか」
「ああ……そうでした。及川さんとのお酒が美味いから、つい」
「美味い事言いやがって」
 互いにグラスを三杯。宵の口だ。冷凍枝豆に茄子のシギ焼きなんかを摘みながら二人は雑踏の中、酒を酌み交わした。
 いよいよ本題に入ろうか、と加納がグラスをカラにすると先に及川が切り出してきたので思わず笑みを溢す。
「……まあ相談、というかちょっと知恵をいただけないかと思いまして」
「何だ。仕事か」
 ならば、店を変えなければならない。しかし加納はゆっくりかぶりを振ると濃い目の焼酎を水割りで注文した。

「……見合いを断るにあたって何か良い口実はないものかと思いまして」
「見合い? そりゃまた」
 及川は周囲に己のセクシャルを公言している故、そういった打診やら誘いは一切ない。しかし加納はそうではないのだ。けれどもこの眉目秀麗な検事には心に決めた男がいる。
 見合いというのは恐らく上司からだろう。その場限りならやり過ごす事はできるが、今後の業務にも差し障るであろう見合いを、安易な嘘で逃げる訳にいかない事は、及川にも痛いほど理解できた。

「いやね、これまでもこういった話はあったんです。流石にこの年で浮いた話一つ無いのは逆に気味が悪いと思われている様で」
「ハハ。想いたいヤツには思わせておけばいいさ。それは、ある意味嫉妬だろう」
 しかし、見合い話を持ってくる人間の気持ちもわかる、と及川は思った。仕事面においては勿論、これだけの器量良しで性格は穏やかかつ品性がある。更に家事全般を難なくこなしあらゆる面で加納は優秀すぎる。歳の離れた上司からしてみれば、義理の息子にしたいと願う者も多いだろう。
「……まあそれでも今まではよかったんです。あながち嘘じゃない言い訳もありましたし、まだ私も若かった」
「言い訳?」
「まだ地方にいた頃なんですけれどね、東京に思い人がいるので。とこうです」
「なるほど。確かにそれは嘘じゃあないな」
 そうでしょ?と、加納は上目で及川を見つめながら焼酎を舐めた。
「でも、今度はちょっと手強いんです。なんせ、総長の妹の娘とかで副検事を務めてらして」
「……同業種か、確かに手強いな」
「しかも、嘘か誠か相手のお嬢さんは私に気があるとか言うのですよ。私は顔も知らないというのに」
 加納は肩を落として、息を深く吐き出した。美しい眉を下げ枝豆をひとつ、摘む。
「そりゃぁ、アンタが義弟しか見てないからだろ。どっかで会ってんだよ」
 及川も同じように枝豆を摘むと口に放り込んだ。塩味が効きすぎている豆に喉が痛む。すると、目の前の検事は頬杖をつきながらうっとりとした面持ちで店のオレンジ色の灯を見つめた。
「……ええ、だって。雄一郎しか見えないんです」
「ハハハ、なんだよ惚気か」
「惚気……どうでしょう。雄一郎は俺の事なんてやはり何とも思っていないんですよ。そりゃあ、そうだ。十七年隣に居た男がまさか自分を恋愛対象として性的な目で見てると、思いませんよね」
「性的な目で見てるんだ」
「もちろん。男ですから」
 及川は加納のこういうさっぱりとした面白味のある性格が好きだった。望めば何だって手に入る力があるだろうに、こうして安居酒屋で豆を突いている姿がなんとも滑稽だ。

「それでね、聞いてくださいよ及川さん。俺、雄一郎に話したんです。見合いをするかもしれないって。そしたらアイツ」
 程よく酔っているのだろう。目尻を赤くして鼻を啜っている姿がどうにも幼くて庇護欲を掻き立てられる。及川も頬杖をつくと、うんうん。と相槌を打ってやった。
「何だって?」
「……ええんやないか。って! ええもくそもあるかと思いましたね。所詮、所詮ねぇ、雄一郎は俺なんてただの飯炊ババアくらいにしか思ってないんですよ!」
 恐らく加納はこれが言いたかったのだろう。見合いを断る口実なんて、きっといくらでも頭の良い男はストックがある筈だ。
 ヤキモチのひとつでも、と期待して話したら大きく気持ちを裏切られる形になってしまった。それが悔しくて悲しかったのだ。
 日頃使う事ない口汚い言葉を選びたくなる程に、加納は頭にきている。

「良いなんて思ってないと思うがな、俺は」
「……もう及川さんと結婚します」
「ハハ、義弟さんに恨まれるのはちょっとな」
 加納は薄い木製テーブルの上に突っ伏すと小さな声で、雄一郎……と名前を呼んだ。
 なんだ、やはりただの惚気だったワケだ。及川は心地いいような、むしゃくしゃする様な気持ちになり生ビールをもう一杯オーダーした。