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ふたりの刑事と風呂

※合田雄一郎と麻生龍太郎。クロスオーバー。
お互いの相手をちょっと自慢したいバツイチ二人。


 どこかで、と思った矢先相手の方から声をかけられた。身丈の大きさは立ち込める湯気の中でもその存在を際立たせていて、体に付いた泡を流すと「お疲れ」と男は頭を下げ、隣に腰掛ける。

「八王子の、ご苦労様でした」
「……珍しい所で、麻生さん」
 麻生龍太郎は捜査一課の警部で、俺の隣の班の長だ。刑事とは思わせない柔らかい姿勢なのに、成果は人一倍挙げてくるから安藤さんなんかは一方的にライバル視している。
 班というものは、そこをまとめる人間ひとつで色が決まると言っても過言ではなく、現に麻生班は彼を中心として皆仲が良い。特に麻生さんの右腕、山瀬警部補は年も近く昔から苦楽を共にしてきたというから麻生班は一枚岩だ。

「偶にはさ、足伸ばして風呂に入るくらいの贅沢許されるんじゃないかなと思って」
 赤羽に新しくオープンした大型大衆浴場は、平日の夕方という事もあり空いていた。天然温泉を箱根から運んでいる、という謳い文句とサウナにジェットバス。数種の露天風呂は確かにちょっと街中では立派だ。
「ええ……独り身だとわざわざ湯船に浸かる事も稀ですから」
「はは、違いない。俺もだよ」
 ぬるめのお湯です。と書かれた一番大きな浴槽に二人で浸かった。なるほど、確かに心地よいぬめりは温泉の証か。
 麻生さんは俺と同じ、女房に逃げられたクチだ。真実は知らないが、人の噂に戸は立てられない。恐らく麻生さんも俺の内情などとっくに知っているだろう。

「合田さんは、飯とかどうしてんの」
 麻生さんが湯船の中で肩をぐるり、と回して笑った。身長は恐らく俺より少し高い位だろうが、とにかく肩幅が逞しい。跳ね上がった湯の軌跡を眺めながら少し考えて、口を開く。
「一人だと、つい飲んで終わりにしてしまうんですがね」
「ああ分かるよ。自炊なんて無理だよなぁ……偶には手料理も恋しくなるんだけどもさ」
 手料理。それならば俺は恵まれている。女房ではないが、少なくとも世話を焼いてくれる人間がいるし、今日もこれからあいつの顔を見にいくのだから。
「……女房の……別れた女房の兄貴が愚弟の為にあれこれ腕をふるいに来てはくれるんです」
「へえ! 凄いな。いいじゃないか、ええとお兄さん……地検の、だよね」
「ええ、まあ。大学の頃の友人なんです。そっちが先で、義理の兄なんていう肩書きが付いたのは後からで」
 不思議な男だと思った。自慢でもなんでもなく、祐介の事を喋りたくなった。刑事と検事は水と油だ。睨み合いこそすれ、決して同じ釜の飯を食ったりなんてしない。それでも、この警部に聞いてほしかったのは何故か。

「加納さんが担当だとほっとするんだ。ああ……とりあえず今日は睨まれたり嫌味を言われる事はないだろうな、って」
「はは。そうですか? 俺には散々な事を言うヤツですよ」
「それはあれだよ。気心が知れてるからでさ、俺も大学の頃の先輩がマル暴にるいるんだけど、未だにどっか気安く相談しちゃうしな」
 聞いた事がある。確か及川警部だ。一時期、麻生さんとはべったりで仲を疑われていた記憶があるが、結局麻生さんの結婚で誤解は解かれたのだけれども。
「……及川警部、一目置かれてますしね。鬼の及川、なんて呼ばれてるのに麻生さんは怖くないんですか」
「それさ、よく言われる。けど、純は……及川はそんなんじゃないよ。怖いとかそんな感情なんてない。ただ、アイツは自分にも厳しい代わりに他人にも厳しいだけだ」
「仲、良いんですね」
 すると麻生さんはちょっと口籠もって、ああ。うん。と曖昧に頷くと突然湯船から立ち上がった。
「俺は露天行ってから上がるよ。合田さんはゆっくりな」
「はい……お疲れ様です」
 笑うと目尻に少し、皺が寄る。けれどもどこか人懐こさの中に決して超える事ができない壁を感じた。
 及川……及川純。そういえば、先日合同庁舎で祐介の隣に居た男がそうだった。
 何やら砕けた雰囲気を不思議に思い、後から祐介に聞けば「及川さんは面倒見のいい方だから」とだけ零して後は何を聞いても受け流されてしまった。
 確かにそこまで恐ろしい人ではないのだろうか。いや、恐ろしいなんて感情を持つことが既に違和感であり、結局他人の評価なんてアテにできない。
 そう思うと、何故か途端祐介の顔を見たくて仕方がなくなり、慌てて湯船から立ち上がると水を桶に一杯、かぶった。


〜小話〜

「麻生さんて、好きな子……いや、その、気になる子に心にも無い事言った事あります?」
「え、んー……ある、かな。気を引きたくって。どうしたんだ?」
「その、そいつが急に見合いするかもしれないって言うんや……いや、言い出して」
「うん。それで、意地悪言ったの」
「意地悪……になるんですかね。ええやんか、したらええ。って言ってしまって」
「あー……なる程。それで、相手は? 泣いちゃったとか?」
「いや、凄い形相で睨まれて……それから連絡がないんで、ちょっと気になって」
「好き、って言えばいいんだよ。それか、俺と一緒になってくれ。だから見合いなんて言うなってさ」
「え! い、いや。結婚は……ちょっと無理ですね」
「でもまあ、分かる。わかるけどさ、昔別れた恋人がね、すっごく俺の事好きだったんだよ。あ、自慢とかじゃないよ。けどさ、別れてしばらくしたら新しい恋人と同棲はじめて。凄く勝手なのは百も承知なんだけども、ちょっとショックだった」
「それは……凄く勝手な話ですね」
「だから言ってるだろ、勝手だって。まあとにかく、後悔したくなかったらちゃんと言いな。キープなんてしてないで」
「き、キープやないです!」