猫の死骸

我ながら悪趣味だなあ、と思うのだが、猫の死体を観察している。といっても、毎朝通りかかって横目でちらっと見るだけだけど。

猫の死体が現れたのは、一週間ほど前だ。朝、子どもを保育園に連れて行く通り道にある草ぼうぼうの小さな三角帯の隅の草むらに埋もれるように、黒猫が一匹倒れていた。倒れているだけかと思ったら、死んでいた。

野良猫でも、命だったんだから、どこかに埋めてやりたいものだとは思ったが、多分日本の法律ではそういうことは許されていないし、子ども達に死体を見せたくないと思い、足早に通り過ぎてしまった。

放っておけば、誰かが清掃局にでも連絡するだろうと思っていたが、二日経っても三日経っても、それはそこにある。誰も気付いていないのだろうか、とすら思う。確かに、草が上手い具合に被いかかり、そこにそれがあるのは良く見ないとわからないかもしれない。黒というのは、意外と保護色なのだなあと思ったりする。

雨が降ったり、陽が照ったり、それは自然に晒され続けた。カラスが着て突ついたりするかと思っていたが、今のところそんな姿は見かけていない。

一昨日あたりから、強烈な死臭が漂い始めた。辺り一帯に立ちこめるわけではなく、近くの一箇所を通ると、その瞬間だけ不吉な臭いが鼻孔にからみつくのだ。どこかで嗅いだことがあるような気もする。何かに似ている。でも、思い出せない。臭いと一緒に小蝿もまとわりついてきそうな臭いだ。でも生ゴミとは少し違う。どことなく、甘ささえ漂う。

五日を経過するまで、それはほぼ原型をとどめていた。

今朝、二日ぶりくらいに通りかかったら、ふわふわの毛の固まりのようになっていた。死後硬直も解けて、毛が抜けてきたのだろう。こうやって肉体というものは朽ちていくものなのか、と思う。相手が猫だからだろうか、おぞましさとか恐ろしさは感じない。悲しさは少しある。こんな風に野垂れ死ぬのは、確かに嫌なものかもしれないなんてことも少し思う。

タンパク質が分解されて、骨だけになるまで、あとどれくらいかかるのだろうか。質量はそんなに大きくないから、大してかからないんじゃないだろうか。土に還る前に、誰かが清掃局に連絡してゴミとして片付けられてしまうかもしれない。多分、社会的にはそれが良いことなんだと思う。でも、自分は通報できないでいる。多分、野良でも命だったものを、死んだとたんにゴミにしてしまうことに納得できないとかいう変なセンチメンタリズムなんだと思う。

さらに、あそこでひっそりと死んでいる猫を毎日見ていると、そこで朽ち果てるのがあれの意志なんじゃないかとすら思えてしまう。

子ども達は、まだそれの存在に気付いていない。

誰にも気付かれないまま、最後まで無事に朽ち果てて欲しいと思う。


15年ぐらい前の記録

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