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過去ブログ1/11

これはnoteに来る前に綴っていたブログの転載記事です。
どういう風に覚醒が進んでいったか自己紹介がてら載せていくので
ご興味のある方はご覧くださいね🎵

1月2日の淡路島福良湾。平敦盛様の首塚をお参りさせていただきました。

写真は一ノ谷の合戦で大敗した平家が、本拠地である四国の屋島へ舟を使って総退却したときに、その船団の一部がこの福良港に寄港したという福良湾です。

福良湾



今日引いた八百万の神カードが宗像三女神だったのでこちらの記事をかかせていただきます。
これは四国淡路旅行の最終日、1月2日に起こった出来事です。
旅も最終日、前日の1月1日には能登の地震が起きており、最終宿泊地である淡路島のお宿に入った瞬間に地震の速報が流れたのでした。

被災された方々へお見舞い申し上げますとともに、一日も早い普及復興を願いお祈り申し上げます。

さて、旅も終盤で、テレビは地震速報、WI-FIがない民宿ということで、おいしいお料理を食べたあと、疲れであっという間に眠りにつきました。

すると夜中に、ぱっちり目が覚めました。
目をつぶっていると頭の中に茶色の直衣姿の方が出て来られて、平のモトツネみたいな感じで伝わってきたので、すぐにスマホでそのお名前を検索してみたのですが、出てくるのは平ツネモリ経盛様のお名前。モトツネという名前は藤原基経さんなら認知していたのですが平家にモトツネ様という方はいらっしゃらないんですよね。
なので、気のせいかと思って←(笑)また眠りにつこうとしました。
そしたら今度は歌の書かれた石碑と森と海の映像がやってきたので、これまた、必死で淡路島 石碑 歌 平と 画像をスマホで夜中に検索しましたよ。(笑)

そうして、そっくりな景色を見つけたのでその写真が載っているリンクを見てそこがどこかを特定することができました。
それがこちらの場所です。
南あわじの休暇村の駐車場にあります。

そのブログには石碑の歌が転載されていて、煙島の説明が載っていました。

福良湾、波きらめける逆光に、煙島くろく見ゆ中山峠
飛松實 昭和31年の作


煙島 は福良湾に浮かぶ小島です。山頂には、一の谷の合戦で討たれた平敦盛 の首塚がひっそりと祀られています。一枚目の写真左端の森が、煙島 です。


平敦盛様と言えば一の谷の合戦で亡くなられた平経盛様のご子息。

つながった~!!

そして、なんと宿泊先のすぐ近くにその場所があったんですよ!!

車で10分くらいの場所。
何でこの民宿にしたのか自分でも??なお宿だったのですが、そういうことだったのねと思いました。ゾワゾワ~

経盛様が息子さんの敦盛様の首塚をお参りしてほしいということなのだと私は受け取り、日の出前にパパと二人でその場所にお参りに行ってきました。
そして、心を込めてお参りさせていただきました。
その時に、煙島には厳島神社もあるということで、宗像三女神様たちにも祈りをささげてきました。そんなわけで、なんとなく本日、この記事を書かせていただいております。


煙島



お参りを終えて、パパさんと戻る途中、曲がる道を間違えて進んだ先に、海が広がり煙島がすぐ目前に広がっておりました。
パパと二人、導かれたね~とまた心を込めてお参りさせていただきました。

帰りの車の中で、煙島 についてスマホで読み上げていたら、

◆平経盛
1124-1185。平忠盛の三男。武人・政治家としてよりも歌人としての才に恵まれていたと言われる。平家の都落ちに同道。一ノ谷の合戦では経正・経俊・敦盛の三人の息子を失っている。最期は壇ノ浦の合戦で入水。


三人の息子をを失っているのところで、突然涙が止まらなくなりました。
平経盛様が一の谷の合戦から福良湾に寄港された際にご子息の敦盛様の首が届いたそうなのです。そしてこの島でひっそりと荼毘にふした。その立ち上る煙からこの島は煙島と呼ばれるようになったそうです。
どれほど悲しかったのか、今でもこの記事を書いているとまた涙が(笑)
これ、シヴァ神とガネちゃんの時と同じ感じで、その方の気持ちが入ってきちゃうんですかね~。知らんけど(笑)
でも、お参りを終えて、きっと、平経盛様が息子さんをお参りしてほしかったんだよね?これで正解だったんだよね?
ということで、私もパパさんもなにやら心の中があったかくなって帰ってきました。

皆様も淡路島に行く機会がありましたら、煙島、ぜひお参りしてみてくださいな。絶景が広がっておりますよ💖

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