猫の日のおわりに
2月22日は終わり、インターネット上で溢れかえった猫のコンテンツは収束をみせる。
そのなかにはSCP-040-JPに関する情報も含まれてはいたが、それらの多くは無害なものだ。
これらはSCP-040-JPというミームそのものを面白がった人間が、ミームを真似て流した情報に過ぎず、SCP-040-JPの本質たるミームそのものではないためだ。
安心して読み進めて欲しい。
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SCP-040-JPとはなにか。
SCP-040-JPと呼ばれる井戸小屋の内部を除いた人間は、一種の認識災害、あるいは情報災害に曝露する。曝露した人間が以後「ねこ」という概念に執着することは、このnoteを読んでいる貴方ならば、知ってのとおりだろう。
曝露した人間は、その「ねこ」の観念を他者に積極的に伝えようとし、その観念を理解した人間もまた、同じ認識異常を被ることになる。
異常なミームの伝達である。
それと他に、曝露した人間の認識が歪められる。
「イエネコが毛が無く造作の無い顔に人間の様な二つの目が付いた動物に見え、どの方向から見てもこちらを真っ直ぐ見つめてくる様に見える」
「曝露した対象は数日~数週間の間に、この"ねこ"が暗闇に居るように感じ始め、常にこの"ねこ"の視線を気にする様になる」
どちらもその曝露した人間の認識、すなわち主観的な現実の変質である。
重要なのは、これを曝露した人間以外の他者が、客観的に捉えることは困難であるという点である。
あくまでも曝露した人間の主観に基づくものであり、その人間が「そう見える」と言って初めてわかることである。
他者の思考を、その人間による表現を介さずに直接覗き見る技術は、まだ存在していない。
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ここで問題となるのは、SCP-040-JPの持つミームに曝露した人間と、そうでない、まだ正常な人間を区別する方法である。
意外にもあまり知られていない情報だが、「ねこ」というミームに曝露した人間は、最初期の激しい動揺を除けば、明確な異常行動をとらないことが知られている。
あの忌々しいレポートは、動揺期にあったエージェントによって書かれたもの、と考えている。ヘッドカノンだ。気にしなくても良い。
だが曝露した人間が取る、「ねこ」というミームの伝達行為はそれでも存在する。正常なような物に見せかけて、伝達行為は行われる。
伝達行為は、ひと目にはそれとは気づくことができない。
そして、気がついたときにはもう遅く、気がついてしまったが故に、既に「ねこ」というミームの囚人となっているのだろう。
SCP-040-JPがなぜ厄介かということを、端的に理解する一つの説明である。
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ここで、例えばの話をしよう。
あなたは「青信号」の青色を思い浮かべることは出来るだろうか?
思い浮かべただろうか?
今あなたが思い浮かべた「青」は「緑」ではなかっただろうか?
では次に「赤」という色を思い浮かべて欲しい。
いま浮かべた「赤」という色を、何か具体的な物の持つ色としてではなく、その色そのものをそのまま、貴方は説明することはできるだろうか?
貴方の見ているその「色」は、果たして他者も同じように見えているだろうか?
貴方の見ている主観的な現実と、他者の持つ主観的な現実が同じものであると、証明する術はあるだろうか?
その人間が「そう見える」と言って初めてわかることである。
他者の思考を、その人間による表現を介さずに直接覗き見る技術は、まだ存在していない。
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例えば、もしも仮に世界に存在する全人類が「ねこ」というミームに曝露し、あなたが最後の正常な一人だったとき、世界はどう見えるだろうか?
曝露した人間は前述のとおり、傍目には正常なようにみえる。
恐らくは、その曝露した人間で構成された社会は、"それ"以前の社会と何ら変わりなく動いていくだろう。正常なモノとして振る舞う人間で構成されているが故に。
だが「伝達」に対する異常な思考は、どれだけ正常なように振る舞っていても、それらの人間のうちに存在している。
加えて全ての人類が、「イエネコ」に関する認識の異常と、「暗闇から見つめる"ねこ"」の認識の異常を持ち合わせている。
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ここで仮に「猫」の見た目について、その社会でどう捉えられるかを考えてみて欲しい。
重要なのは、これを曝露した人間以外の他者が、客観的に捉えることは困難であるという点である。
あくまでも曝露した人間の主観に基づくものであり、その人間が「そう見える」と言って初めてわかることである。
ある人が「猫」を指して「これはねこだ」と言ったとしよう。
伝達行為は、極めて自然なものを装い、ひと目にはそれとは気づくことができない。
その社会では、もはや猫を指して「これは人間のように見える」とは言わないだろう。あくまでそれは「ねこだ」と表現される。正常なモノとして振る舞う人間で構成されているが故に。
「闇の中の"ねこ"の視線」についても、言うまでもない。
あなたの見ている猫が、他の人には「ねこ」として捉えられ、「ねこ」と表現される。
この時、あなたは疑問を抱くことが出来るだろうか?
気づくことはできるだろうか?
伝達行為は、極めて自然なものを装い、ひと目にはそれとは気づくことができない。
気がついたときにはもう遅く、気がついてしまったがゆえに、既に「ねこ」というミームの囚人となっている。
この時、あなたは疑問を抱くことが出来るだろうか?
気づくことはできるだろうか?
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2月22日は終わり、インターネット上で溢れかえったねこのコンテンツは収束をみせる。
それでは、今日一日で出会った人を思い浮かべて欲しい。
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Author: Ikr_4185
Title: SCP-040-JP - ねこですよろしくおねがいします
Source: http://ja.scp-wiki.net/scp-040-jp
CC-BY-SA
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