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春の教室に戻って

「恋をしなさい、恋を。」

トロンボーンを吹いていた頃、師匠がしきりにそう繰り返した日があった。
「してんのか、恋を。」
「恋人をつくれってことじゃない。恋をしなさい、人を愛しなさいと言っている」
「それが君の音楽になるから」
木漏れ日が差す夕方の広い教室でふたりきり。私の目をみたりみなかったりしながら何度もそう言う先生に向かって、私は「へへ」とあいまいに笑う。
先生がそんなことを言ったのは、あとにも先にもこの日だけだったけれど、なぜかとても良く覚えている。それはきっと5月で、日差しはあたたかいけれど風がちょっと冷たい、ちょうど今日みたいな日だった。気温も、手に持つトロンボーンの重さも、先生の表情も、早くレッスンが終わらないかと小窓を覗く同級生の顔も思い出せるのに、そのときの私が、先生になんて返事をしたのかだけが、どうしても思い出せない。

先生のところにレッスンに行かなくなって数年。あのとき先生がいった「恋」が、惚れた腫れたのそれを指すものではないと分かるころには、私はすでに音楽をやめてしまっていた。
クラシックもほとんど聴かなくなってしまって、演奏しなくなった代わりに好きな音楽をたくさん聴いて、舞台に立たなくなった代わりに、舞台の裏にいる人になった。あの頃とはなにもかもが変わってしまったけれど、私は未だに、ずっと誰かに、なにかに恋をしているような毎日を生きて、たまにしょぼくれては励ましてもらって、なんとか楽しくやっている。あの頃より、大好きな人が増えて、その分、反省と後悔の回数も増えた。迷惑なほど愛を振り撒いて、傷つかないように、一生懸命を楯に、愛されなくなる瞬間の訪れに怯えてはいるけれど、それでもこれ以上の日々はなくて、もしあるとしたらこの先の未来だと、そう信じて暮らしている。

そんな毎日に疑いはないんだけれど、私は不本意にも小さくて弱くて、ここ数日、かなり陰気臭い顔をして周りを困惑させてしまっている。本当に申し訳ない。外はこんなに晴れているのに、お散歩に行きたいと思えないような気持ちだ。これは日々の仕事やライブのこととはまったく関係がないから立ち止まっているわけにはいかないのに、それでもなんだか体が動きづらくて、夜が長くて、ごはんが多くて、酒に酔えなくて、化粧が怠い。
ふと手を見ると爪が伸びていた。ああ、この間切ったばかりのつもりなのに。発行してない請求書もある。あの人に連絡しなきゃ、後回しにしてるあの机の上の封筒、あ、母の日。
あー、となって、電気を消さずに目をつむる。
絶対に手放したくない。全部愛したいのに、指の隙間から大切なものが、やらなきゃいけないことがこぼれていく。止まっている間にも世界は動いていて、大切にあとで掬い上げようとしていたあれが、「もうおそいよ」とその場を去っていく。ああ、私ってずっとダメだ、と絶望していたらまた指の隙間が開いてしまって、そこからもっと大切なものが容赦なくすり抜けていく。

こんな風に落ち込んでしまっている間、たくさんの人に励ましてもらった。大きなイベントもあって、次のために反省もした。私に気を遣わせないように悪態をつきながら一緒にいてくれた人がいた。大好きな人が書いたまっすぐな愛を受け取って、気が引き締まった。お酒を飲みながら次に会う日の話をして、未来の話、モヤモヤしている話をきいてもらって、きいて、また結局頑張らないととなってしまった。
ほんとはもう、明日なんてよかったのに。
終わりかけのジェンガみたいに抜け落ちていたところを、たくさんの大好きな人に埋めてもらって、今日の私はなんとなく、昨日よりは元気に地面に立てている気がする。
恵まれている、不幸せなことなんて、ほんとはどこにも、ひとつもない。

師匠は今の私に会っても、「恋をしなさい、人を愛しなさい」というだろうか。もし言われてしまったら、私は、なんて返事をするだろうか。
教えてくれた音楽、貸してもらったジャージ、隠れて買ってくれたポケモンカード、飲み残した酒、多分あの日限りの歌、わざと負けてくれたゲーム。
まだぐだぐだと弱音を吐きながら、あの日もらいすぎてしまった言葉と愛と気遣いを全部のこさずしまって、大切にしていたいと思う今の私は、恋をして、人を愛せているでしょうか。
どうなんでしょうか、先生。

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