見出し画像

毒あるいは棘



数ヶ月ぶりにnoteを開いて小さな声が漏れた。
そうだ、浄土

自問自答から離れていた。
コンセプトが、なりたい方向性は間違っていないのだけれどどうにもやりずらかった。
掲げているコンセプトとしての自分像(以下彼女)は何年も後のライフスタイルの話で、今の自分とは大きく違っている。彼女はきっと砂埃で汚れた滑り台は滑らない。
今の自分にもっと合ったコンセプトがあるはずだと思いはするのだけれど、それを表現する言葉が見つからない。
なりたいものは決まっている。今の自分に必要な服もわかっている。なのにコンセプトだけが抜け落ちている状態。
もうコンセプトとかなくてもいいのではないかしら、どこからともなく囁く悪魔の声に、とりあえず身を委ねたこの数ヶ月間。

でもなんとなく居心地が悪い。日々自問自答ファッションに沿って服を選んでいるので毎日居心地が悪い。服で自分を表現しているのに、なぜ言葉でうまく表現できないのだろうともどかしい。
連日のもどかしさに耐えかねて、とりあえずnoteを開いたところで冒頭のワードとの出会いである。

そもそも浄土ちゃんという名前について、数ヶ月前の記事でしっくりこないと書いていたにも関わらずコンセプトとしての浄土は自然としっくりきた。
わたしの好きな本である西の魔女が死んだの魔女のメンタルに、浄土という概念はよく似ている。でもただの浄土ではない。わたしは全ての煩悩を消し去りたいわけではない。
「エッジィな浄土」
そう、少しだけ尖っていたい。自分の心の棘ごと表現したい。メモに服で毒を吐く、と書いてあった。そういうことがしたい。

久しぶりに自分と対面した気がした。
そして急に自分のこの名前がしっくりきた。かけていた曲から取っただけのはずなのに、それが妙に馴染む。
自己紹介みたいなコンセプトになってしまったがそれはそれでいいか。
そういうどうしようもなさも、含めてわたしなので。

わたしは今日もムスメと砂埃にまみれた滑り台を滑りながら、ファッションで毒を吐いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?