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自問自答ガールズになってもいいですか

書店であきやさんの本に出会ったのは1月下旬のこと。1月に折角だから何か新しいことを始めようと思っていたのが中々決まらず、なにかヒントはないかなと書店の本棚をタイトルだけを目でなぞっていた。
最初に本を手に取った時「一年で3セットだけ?そんなの無理」そう思って中もろくに見ずに棚へと返した。
そしてその夜、さて寝ようという時にふと自分の服の収納されている衣装ケースに目をやって、本のことを思い出した。「3セットで済んだらラクだなあ」そう思ったら本の内容が気になり出した。もっときちんと中まで見ておけばよかったと思いながら、入手したのは2月に入ってからのこと。
読了後、もっと早くに読んでおけばよかった、と思いながらいそいそとnoteのアカウントを作り(実はアカウントを作るのは2回目)あきやさんのnoteを読んでいるそんな今日このごろである。



なぜnoteを作ったか


先ほどもちらりと書いたとおり、実はアカウントを作るのは2回目。色々な方のnoteを読んでいるうちに自分の記事が人の目に触れた時どう思われるか悩み、そして本当に自分の向かう方向が正しいのかについても悩み、一度アカウントを消した。あまり情報は仕入れすぎないほうがいいなと思ったのと、noteがなくても自問自答はできると思ったからである。
でもこの、自分のために書いているんだけど他の誰かの目に触れるかもしれないという絶妙な緊張感がないとわたしは文章を書かないのだとわかった。より正確に言うならば文章を書くための時間を作ろうとしない、だろうか。単語だけ並べてあとは自分の頭でこねくり回そうとするので、頭の中がぐちゃぐちゃになる。
そういった経緯もあり、再びnoteのアカウントを作成した。自分のためにアウトプットするのに、人の目が必要だなんて変な話である。
そのうちまた、人の目が気になって削除するのかもしれない。いつも漠然と終わりを考えているタイプ。それまでにそう思わないくらい自分のコンセプトと自分のスタイルを確立させたいところではある。



わたしのなりたいについて


こちらは散々こねくり回して、やっぱりこれだなというものが決まっている。

イカしたクソBBA(魔女)

とある服を見たときに、自分が年を取った時(50代、60代くらい)その服を大事に着続けているイメージがとても鮮明に浮かんだ。ボトムスはデニム、白いスニーカーを合わせて背筋をしゃんと伸ばして立っている。ギャルブランドの服を可愛いなと思って試着するもやっぱり着てきた服が1番可愛いわと思って、代わりに少し変わったデザインのピアスを面白くてアリね、と買う自分。そしてパートナーに笑われるのだ、本当にその服好きだねと。

これから先、その服を着ることになるかはわからない。着ているとしても、着ていないとしても、今のところわたしの理想の人物像はこれである。このイメージを大切に持っていたい。

そしてそのイメージにしっくりくる言葉がクソBBAであった。人に向けるのではなく、自分のことをそう言って笑える少し斜に構えたような態度。自分のことをそんなふうに言いながら気に入っている、そういう強さ。強いから優しい。そうあれたらいいなと思う。

コンセプト職業についてはまだ未定。
毎日の習慣だとコーヒー飲むことと日記を書くことくらいしかなくて、どちらもコンセプト職業としてはしっくりこなかった。そのうち見つけられたらいい。とりあえず今はコンセプトという自分の城のなかで門ができたくらいのレベル。



今の自分と未来の自分


コンセプトを数十年後の理想の自分にした。少し他の人のコンセプトとは違うし(そんなに多くの人の記事を読んだわけではないが)、あきやさんのおっしゃっているコンセプトともズレているのかもしれない。

ただ日常の中でひょっこり顔を出して「こっちよー」と迷走しそうなわたしに一息つかせてくれたり、「わたしには合うけどあなたにはまだ少し早いんじゃない?」とか「わたしはもしかしたら身につけないかも、でも今のあなたには必要ね」と真剣に一緒に悩み、アドバイスをくれるクソBBAは案外世話焼きで優しくて心地よい。数十年後鏡の前で会うまでのしばらくの間、この奇妙な自問自答を楽しんでみようと思う。

わたしにとってまだ今の自分は受け入れられない弱さの巣窟で、そこにポンッと自分の好きなものを詰めたコンセプトを入れてもすぐにちぐはぐになって自己嫌悪してしまう。だからまだ遠い先の自分に、自分のことを案外気に入っている自分に、今は助けてもらおうと思っている。
こんなコンセプトの形も、あってもいいだろうか。

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