Mojo Hannah
ナノミーターズのレパートリー解説は、こちらに引っ越します。
レパートリーの中には、作者がアラン・トゥーサン(ナオミ・ネヴィル)ではない曲がありますが、その中の一つです。
Song Detail
Lyrics
NanoMeters Version
1972年7月にリリースされたアーロン・ネヴィルのバージョンです。
Sansu の制作で、プロデューサーはアラン・トゥーサン、マーシャル・シホーンで、Mercuryからリリースされています。
トゥーサンのシーセイント・スタジオはまだできていないので、どこで録音されたかは不明です。
この盤で作曲者は F. コーバー、G. ゲインズ、R. ゲインズとなっていますが、これは嘘です(後述)。
また、ミーターズがバックを務めているとの記載も見かけますが、そのエビデンスはありません。これはなんの根拠もない私の感想ですが、ドラムはジガブー先生ではなく、ジェームス・ブラック先生のように思えます。ベースもジョージ・ポーターではないような。ギターはノセンテリっぽいけど。
Song Writers
作曲者はバーバラ・ポール、クラレンス・ポール、アンドレ・ウィリアムスで、1962年4月20日に著作権登録されています。
この三人はMotownのソングライター/プロデューサーのチームで、クラレンス・ポールは十代のスティービー・ワンダーの師として知られています。
First Recording - Henry Lumpkin
ヘンリー・ランプキンがコーラスグループ、ラブトーンズとともに吹き込み、モータウンから3枚目のシングルとして1962年にリリース。この時のタイトルは「Mo Jo Hanna」です。
残念ながらチャート入りすることはなく、ランプキンもMotownを去ったようです。
Other Covers
Marvin Gaye
1963年9月9日に録音されたライブ盤「Recorded Live Marvin Gaye On Stage」に収録。
Little Esther Phillips
1964年には、もはやリトルとは言えないエスター・フィリップスにより吹き込まれ、シングルがリリースされています。A面です。
ここで曲名表記が「Mo Jo Hannah」となりました。
Betty Harris
ベティー・ハリスはフロリダ出身のシンガーで、1963年に Jubilee からの1枚目のシングル「Cry to Me」でHot100で23位、R&Bチャート10位。続いての「His Kiss」は、そこまで順位は上がらなかったのですが、とりあえずチャート入りしました。
これらの2曲はバラードでしたが、1964年6月に出したのがアップテントの「Mo jo Hannah」。アレンジはミュージカル界の大物アレンジャーであるゲイリー・シャーマン。でも、これはチャート入りしませんでした。
そして、その年のうちにニューオーリンズの Sansu へ移籍し、アラン・トゥーサンと会うわけです。
8年後にアーロンがこの曲を吹き込むきっかけは、これじゃないのかなと妄想しています。
もちろん、トゥーサンはチャートへアンテナを張っていたでしょうが、あまり振るわなかったこの曲を知ったのは、ベティ・ハリスが持ち込んだシングル盤だった、というは話として面白いですw
Tammi Lynn
そして、もう一つ、きっかけであると言えそうな事実があります。
タミ・リンはニューオーリンズの隣のゲート・タウン生まれのシンガーで、なんとアラン・トゥーサンの同級生です。60年代初めころには、タミ・リンというステージネームで歌っており、ハロルド・バティステのAFOレコードと契約し、ツアーに出ていたそうです。そのころ、AFOのレコーディングにはトゥーサンもちょくちょく出ていますので、もちろん交流はあったでしょう。
その後、1965年にジェリー・ウェクスラーが彼女をスカウトし、Atcoからシングルを出すようになります。そして、1971年7月に「Mojo Hannah」をアトランティックの外郭レーベル Cotillion よりリリース。
この盤はチャート的にはまったくふるわなかったのですが、ニューオーリンズ出身者として、かの地ではそれなりに聞かれていたと想像できます。
The Neville Brothers
アーロンが吹き込んでから10年後、1982年にTipitinaでネヴィル・ブラザースがライブ録音をしています。
ここで歌っているのは長兄アートで、アーロンはコーラスに徹しています。
せっかくなので、それから10年近く後ですが91年のライブ映像を貼っておきます。