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嘔吐

 私が栃木に日帰りトリップした1月26日、自宅の最寄り駅に着くと、「今から会おうよ」的なノリで友人から連絡が来た。来た道を引き返して、会いに行った。なんと言うフットワークの軽さ。私は“フッ軽”な人間が好きだ。

大学で最も仲が良かった友人も、なんの前触れもなく「今から熱海行こう」とか言うタイプだったし、最も仲が良かった後輩も、5限が終わって家に帰ろうとしているときに「今日夜ヒマだったら飲み行きませんか?」とか言うタイプ。これが所謂“類友”ってやつか、などと思う。

 私は18歳で高校を卒業すると、1年間の浪人生活を経て東洋大学に入学。1年目でまともに大学に通えなくなり、2年目に“進路再考のため”休学した経緯がある。だから、“24歳、大学生”。

この日、夜突然会うことになった友人も、“24歳、大学生”。経緯は異なるものの、自分と同じようにちょっと人生遠回りしてしまった同い年の大学生に出会えたことは励みになる。しかも、陸上(ランニング)という共通項を持っている。

 別になんにも卑屈になることはない。それまで無駄に高かったプライドも持つ意味はどこにもない。かえって開き直るしかない。
3年目、大学に復学すると「丸くなったね。」と言われるようになった。(物理じゃない、精神の話だ。)

 休学中の1年間は、社会保険に入りながら月に22~23日出勤して、それで得たお金だけで生活して、なんとなく自立した気になっていた。家事のめんどくささ、経済的に親に頼らなくてよい気楽さ、社会人として働くことのマインドなど、様々なことを学んだ。

 ところで、我々の目下の課題はシューカツである。「普通の大学4年生と同じことをしてもしょうがない。」というのは、共通の認識だった。「休学や留年しても、筋の通った説明ができれば問題ない。」とはよく言うけれども、高校の同期はもう社会人3年目。今さら普通には戻れない、いや、普通に戻ることに価値が生まれないことを知っているのだ。

よく、「学生なんだから」とご厚意をいただくことがあるが、これに対する常套句は「いや、社会人の歳なので。」である。でも、私が学生だから会って話をしてくれたり、手を差し伸べてくれる大人がいることも知っている。勝手に学生延長しておいて、学生の特権だけは一丁前に使っている。

 彼は私を、「戦友」と表現してくれた。今のところ、彼のほうが何につけても数万歩先を行っている。私はそろそろ、覚悟を決めなければならない。

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