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「私と言う瞬時性」

結局のところ、この自分とか私と称される存在は、一体全体何者なのでしょうか?

この先確実にやって来るであろう「私の死」は、本当に実在するのか、それともイリュージョンに過ぎず幻(まぼろし)でしかないのでしょうか?

私は自分の不老不死を意味も根拠も無く確信しています。

つまり、自分は「永遠存在なのです。」

だから自分を永遠とか悠久と考えています。

一方で、永遠存在として、生きて居なくてはなりません。

詰まり活き活きと生きているには、絶えざる自己の再生、即ちナノ秒ごとの新生が不可欠なのです。

だから私と言う存在は、「慣性の法則に従わないのです。」

慣性の法則に従うのは、生命の無い死んだ物体と思うからです。

それゆえナノ秒前の自分は、自分の残像効果に過ぎず、最早自分では無いと考えます。

つまり、今この瞬間に全く新しいフォトンとして「私は誕生しているのです。」

そうです、過去に全く縛られない、カルマやトラウマと全く無縁な「常に新たに生まれ続ける自分」なのです。

言い換えると、自分とは、絶えざる自己再生即ち真の非連続性、慣性軌道で無く、素粒子でありフォトンなので、たった今誕生した新鮮ぴちぴちの私なのです。

だからより正確に言うと、ナノ秒前の自分は、古びた自分であり、今ここに居ないゆえに、過去の自分なのです。

過去、現在、未来を線としての時間軸で生きなくても、「点」としてフォトンとして生きれば、慣性の法則に従わないで、「常に新たな一つの点たり得るのです。」

この大宇宙は、こうした瞬時性により、自己の生命エネルギーを活性化させ、生命そのもの足り得ているのでは無いでしょうか?

別の言い方をすれば、自分とは「永遠性」でも有り、「可変性」でも有るがゆえに、「過去から自由で居られるのです。」


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