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「パラダイス ロスト」の世界

この三次元空間或いはこの世若しくは人間界は、個人が個々ばらばらに生きる個人主義の世界、言い換えれば「エゴの王国」である。

エゴイズムとは、言葉を替えれば自分勝手に生きる社会、「脳に主導権を与えた愛なき世界」なのである。

彼奴は気に喰わないから潰してしまえ、そんな事は愛が有ったら出来ない。愛が無いからこそそんな事が出来る。「愛を欠落させる」事で一体何がしたいのか?気に喰わないから殺してしまえと「殺し合いが可能になる」。

人間界の一段下の「修羅世界」でも、毎日毎日永遠に戦い続けている。なぜそんな事が可能なのか?個人個人が「個々ばらばら」になる事で戦いや殺し合いは可能になる。

ギリシャ神話の世界でも醜い親殺しや兄弟殺しが登場します。天に居る時からもう堕落は始まっている。

細胞分裂や核分裂はなぜ起こりうるのだろうか?一つで居ることが嫌になったのだろうか?

人は今この世に生を受けて人生を謳歌している。と思いきや戦火の中を逃げ惑っている。何処をどう間違えてしまったのだろうか?エデンの園で変な木の実を食べたりするから、その後の人類全体が絶滅の危機に瀕している。

そう「物質を食べたことで」人間は肉体化した。自らを肉の塊にすることで、小間切れ肉やミンチ肉に舌鼓を打てるのである。

さて、今生を前世と分断し、前前前世をみじん切りにすれば、霊魂としての連続性や首尾一貫性は失われ、個として孤立したエゴを主人公に出来る。そう、脳は一度でいいから自分が主人公になってみたかった。その為に人は前世を忘却し、孤立した個人主義を満喫できる。自分勝手に生きられる楽しさ、自己主張は自己実現と美名を与えられ、エゴを喜ばせる。他人を言い負かすディベート力が称賛され、思いやりは影を潜める。

前世や前前前世を拾い集めて一本の糸で繋ぎ合わせたら、人は楽園に復帰出来るのかもしれない。

前世と今世が意見の相違で仲違いし喧嘩別れしてたら愛もへったくれも無い。

憎み合い殺し合う、それは弱肉強食とか生存競争、神父よ銃を取れの世界になる。

愛無き世界、それは苦しみと殺戮の世界、エゴの王国、他者と繋がれないのです。三次元とは細胞分裂の世界、孤立と孤独を楽しめる「エゴの王国」なのです。「We are not alone.」と言いつつも、本当は一人になりたい。孤独のグルメとか「一人カラオケ」、自分だけの秘密基地。孤独は孤高を目指しているのだろうか?

三次元のエゴの王国では、「マイペース、マイウェイ」が、理想の生き方となって来る。

今生の自分が、過去生や未来生を小間切れにしないで、「愛の糸」で繋ぎ合わせ修復して行くのは、細胞分裂する三次元空間では難しいのかもしれない。

「愛の欠如と不足」のお陰で、人間は殺生し放題、美味しい肉をたらふく食べられる。つまり、人間とは天から堕ちたお陰で「鬼に成れた生き物」なのである。鬼なんだから、食べたいと思ったら殺して喰っちまうのである。愛が有ったらそんな事は出来ない。愛が欠如してるからこそそう言う事が平気で出来る。貴方は人間じゃ無くて実は「鬼」なんです。本当のことを知ったらショックを受ける人もいるかもしれない。

天から追放された人間は、「悪事に耽ったり」、悪戦苦闘したり出来るようになった。詰りは、悪魔とか鬼の真似事をして愉しめるのである。

神々の世界では、「与え合う」が、鬼と悪魔の世界では「奪い合い」殺し合い、殺して喰っちまってもいいのである。

人間には、神性や仏性も有るし、悪魔性や鬼の性質も有る。両方持っているから人間と言う。

悪魔性をチョイスしないで、神性をチョイスし得たなら、天に移住出来てハッピーでラッキーな来世になる。

さて、どうなる事やら。



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