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お金の神常識 7 「アレも欲しいし、コレも欲しい」

第一章 「アレも欲しいし、コレも欲しい」

人間は欲張りだから、アレもコレも欲しい。アレもしたいし、コレもしたい。だが身体は一つしかない。それで甘い物は別腹とか、勝手な理屈を持ち出してくる。お腹が満腹になったとしても、直ぐに消化してまた何か食べたくなる。これは人間が「食べ物依存症」だからです。その結果、食べ過ぎて糖尿病や高血圧、高血糖に胃がん更には大腸がんと身体は病に占領されていく。

食べ物依存症で無い人は、セックス依存症や買い物依存症になったりする。

依存症とは、其処に「仮りそめの安心感」を得たい為である。保険に入ったから地震が来ても大丈夫みたいな。この症状は「自分の外に」安心感を求めている。自分の内面に有る不安や心配にメスを入れて無いから「仮りそめの安心感」なのである。

備蓄してないと不安だから、備蓄する事で安心感を得る。だがその安心感は「不安を大前提にした安心感」なので、真の安心ではありません。

人間は欠乏感存在とか欠如感存在と呼ばれる生き物だから、とかく「アレが無い、コレも無い、アレも不足してきた」と「無い事」にばかり注目して生きてしまう。ガソリンが無い、小麦が足りないと不安と心配で心を擦り減らす。

一方で修行僧なんかは自分から「無の境地」を求めていく。

無い事で「困った困った」と言ってる人が居る一方で、自ら無い事を欲っする人たちが存在する。この一見するとパラドックスに視える現象の中に真実が隠されている。

アレも欲しいし、コレも欲しい。それは本当は「アレも要らないし、コレも要らない」のである。アレもしなくていいし、コレもする必要なんて無いのである。薬物依存の人は、高い金出してまで薬物を欲しがるが、本当はそんな物は無くても生きていける。まあそんな事言い出したら食べ物なんか無くても生きていける「不食」といった考えに行き着いてしまう。

物を欲しがる時代が先ずあって、次に飽食の時代を経た上で、その後に「断捨離の時代」とか「少食の時代」が来るのである。

貧困と飢餓に苦しんだ辛い歴史の反動として、肥満と大食と脳梗塞がやって来る。そしてこの三大成人病の反動として、次の時代は不食と少食の時代に成っていくのである。

今、肥満やメタボの人は前世よほど飢えに苦しんだ人たちなのだろう。食べるタイミングが一時代ズレているせいで、成人病と言う病で苦しみ人生を一向に満喫出来ない。食べたいだけ食べて、太りたいだけ太る、ダイエットしてはリバウンドする、食べ物依存症なんだから本人に食欲を制御できない。そう、自身の食欲を制御し得た人から順に天界に移住していき、食欲や性慾を制御出来ない人は自身の地獄を引き続き体験していく、ただそれだけの話です。

全ての欲望は自身の欠乏感を動機にしているのだと気づけるか否かである。

第二章 「お金が欲しい」心理の分析

「私はお金が欲しい」、そう「喉から手が出る程欲しい」、だから強く渇望したら、大声で欲しいと叫べば、天に住む神様にも聞こえるはずです。

果たしてそうでしょうか?これでは駄目なんです。何故か解りますか?

「 I want money. 」とは、今私はお金が不足していますと、宇宙に自分の金欠感を発信している。それゆえ宇宙は、あなたに金欠状態をプレゼントしてくれます。

もしもお金が欲しいのであれば、金欠感を抱いてはいけません。そうでは無くて、お金を手にして喜んでいる自分を想像して下さい。お金を手にして感謝している自分をイメージして下さい。そうすれば宇宙は、イメージした通りの現実を創造してくれます。

つまり、今現に豊かであると、今此処で実感すると、それに見合った現実がやって来る訳です。

多くの人は勘違いして、「今ここ」でお金が欲しいと金欠感を強く思うので、それに見合った金欠状態の現実を創造し続けます。

人間人類の大半がこのトリックを見破れず、貧乏おはこと生きてしまう。

自分の人生なんだから、自分の豊かさは各人が自分自身で創造して下さい。この宇宙では当たり前の道理が、この地球では長らく実践されなかった。

と言うのも、「貧困の逆転写」すなわち「ワントとは不足である」と言う当たり前の理屈が理解できなかった。

宇宙は、「不足」と「豊かさ」が二つでワンセットにエンタングルされている。不足は逆転写させれば、「豊かさ」に成る。人間は間違って「不足」の方を現実化させてしまうから、人間の人生は貧乏と貧困を友として来た。

まあそれにはっきりと自覚的に意識的に気がつく知性が五次元人生と言うことが出来るでしょう。

自分の人生の豊かさは自身が創造せよ、ある意味で宇宙は厳しいな。と言うかそれって当たり前じゃん。


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