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善悪の此岸、善悪知るの木の実

この世には悪が存在し、世の中には悪人が大勢いる。

だから悪と戦うレジスタンスやヒーローは連日大忙しで休む暇もない。

だが実は自分が住む社会の悪は、自身の内奥の反映なのです。それ故世界とは、自身の内面を映す鏡なのです。
世間でいじめや振り込め詐欺が一向に無くならないのは、人間の深層心理と潜在意識の中に、邪悪や無慈悲が住み憑いて離れようとしないからなんです。

悪とは外の敵では無くて、自身の内奥に住み憑いている悪の本性なのです。

だから日夜悪と闘うヒーローは、実際は己の内に棲む邪悪と戦っているのです。

旧約聖書の冒頭に奇妙なエピソードが語られている。神様が「ここに在るどの木の実も自由に食べて良いけど、善悪知るの木の実だけは食べるな」と警告している。アダムとイブは「美味しそうに見えた」ので食べてしまう。空腹感からか食欲と言う欲望を制御できなかったからか分かりませんが、兎に角食べてしまった。そしてこれがもとで楽園を追放されてしまう訳だから大事件だが、人類はふーんそうなんだと聞き流して終わり実感が湧かない。

何故最重要事案なのか分かりますか?
善悪を知ったから罪意識が芽生え、以来数千年数万年と輪廻を繰り返す堂々巡り意識体と化したのです。

一方で聖書は「裁く者は裁かれる」と言っている。だから「裁かない者は裁かれ無い」訳です。聖書の最後の方に「最後の審判」が語られる。これ全部ワンセットなんですけど、知ってました?「裁く者は裁かれる」んだったら、地獄にいる閻魔大王も地獄の沙汰を下したのだから、裁かれちゃいますけど大丈夫?

結局此の世と言う一つの全体を善と悪とに二分する思考パターン其の物が間違いだったんです。

世の中はニュートラルで善でも悪でも無い。それを私が正しい、あんたは間違っていると言い合って争いになる。我々は正義で、彼奴等は悪い奴らだから懲らしめてやらねば。戦争の火種が此処に有る。

この三次元空間って善悪を持ち込んだから戦争だらけになったんです。

それで「善悪の彼岸に立つ」とは、一体どう言う事なんでしょうか?三次元人間はアダムとイブ以来「善悪の此岸」でしか生きてないので、イメージが掴みにくい。

五次元人はどうしてるんでしょうか?
世界を善と悪に二分するのを辞める。
つまり、私が正しく貴方は間違っていると言った「判断」を止める。詰まりは、裁かない故に裁かれない。「あんたが悪い」と決めつけない。だから、其処に罪意識は存在しなくなる。罪意識と言うトラウマは「罪の赦し」によって「浄化可能」となる。人間各人の抱く罪悪感や自己処罰感が数千年数万と輪廻の無限ループを余儀なくさせた訳です。

「善悪の彼岸に立つ」ってどう言う事か、何となくイメージ出来ましたか?裁く者は裁かれ、裁かない者は裁かれ無い。裁かれ無いんだから、閻魔大王も最後の審判も関係ない。自分が自分を裁く自己処罰も必要有りません。だから天に移住する。

あの時木の実を食べさえしなければ、この数千年数万年の道草はしなくて済んだかも、人類って本当に変な生き物ですね。食い意地が人類の運命を決めてしまったとは、今となっては笑い話か。

五個百円。



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