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結果論から原因論へ

医者は患者の細かな病状に関して多弁的になるが、その根本となる病因については驚くほど寡黙になる。

評論家は結果論に終始し、原因論には先ず触れない。

人間は神と言う原因者に創られた被造物である故に、結果論しか言えないのである。あそこはカーブでは無く、ストレートで勝負すべきでした。あの株はあの時売っておけば、大損せずに済んだのです。後悔先に立たず、全て結果論でしょ。

人間は自業したら自得が気になって気になってしょうが無い。自業、期待過剰、期待外れ、落胆と言う一連の過程を性懲りも無く延々と繰り返し飽きる事が無い。原因と結果の二つが有ったなら、結果にばかり目が行き、自らの原因創りに集中できて居ない。

此れが人間の特徴だが、神人類になると自身の原因作りにしか興味を示さず、結果は自身で確認しなくても構わない。何故なら自身が正しく原因したならば、結果は100%予想通りで万に一つも外れが無いからである。

自身は結果者たるな、原因者たれ。被造物たるな、創造主たれ。言い換えればそれは人間に留まるなと言う事である。人間は、サルから人間に進化したと歓ぶだけでその先の展望がない。

一つ自業したら宝くじの当せん確率を祈るばかりで一発必中性が無い。これでは望む自得は先ず手にし得ない。

人間は宝くじ宜しく精子たちの生存競争により偶然卵子にたどり着く。あなたは偶然此の世に産まれたらしい。其処に必然が無い故に此の世に生まれ来た意味を決して見い出せない。

そうでは無くて自分が唯一の原因者だから世界は自身の意図した通りにしか創られ得ないのである。つまり徹底的に原因者に専念していれば、結果は自ずと付いてくる。結果を気にしたり、好結果を祈願したりするレベルでは、満足な結果は臨めない。

結果たるな、原因たれとはそう言う意味である。被造物じゃ駄目なんです。何処までも原因者たらねばならず、結果論なんか絶対口にしてはいけない。



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