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倹約と節約の深層心理

旧約聖書には、アダムとイブが「善悪知るの木の実」を食べたので、楽園を追放されたと描いてある。

一生を聖書研究に費やしたとしても、何のことやら意味分からんわで終わり兼ねません。

善と悪という対立する概念を極にして回転させれば、「善悪の世界」という「一つのマトリックス世界」が創造出来ます。

この時「善と悪はエンタングルされた」と表現できます。量子もつれの事です。

そしてこのマトリックス世界に自身が入り込む事で、汎ゆる善と悪、汎ゆる善人と悪人に取り囲まれます。

それでこのマトリックス世界の構造は、善因善果、悪因が悪果する構造に成ります。

その事に気づけないから、悪人は悪事に耽って、自ら悪果を受け取り苦しみます。

気づき悟れた者は、悪果を受け取りたくないので、善を為すべく努めるので、善果を果報として受け取り楽しい人生を送れます。

この構造の全体を俯瞰すると、自分が善を発したから良き結果を受け取り、自分が悪事を発信した為に、悪い結果を受け取る羽目になったのだと解ります。

つまりこの「ブーメラン構造こそが宇宙の基本構造」だったのです。

「発する」とは、スタート地点を意味します。善からスタートしたので、善へと帰着する訳です。

だからネガティブからスタートした人は、ネガティブを受け取るしか無いのです。なのに人間はネガティブ感情を抱き、ネガティブ思考を繰り返しながら、ポジティブ現実を望みます。それは矛盾している故に叶いません。

さて「善悪のマトリックス世界」が存在し、「貧富のマトリックス世界」というのも存在しています。

人間はこの二つのマトリックス世界を重ね合わせて生きています。

「貧富のマトリックス世界」とは、「貧しさと豊かさ」という二つの対立する概念を、エンタングルさせ回転させれば出来上がります。

そして「貧しさをチョイスして生きる人々」は、「お金も物も人の命も何れは無に帰す」と考えています。

つまり「スタート地点が無に帰す」という考えなのです。だから「お金は使ったら減っていき、何れは無くなる」と信じ込んでいます。

「無いからスタートしているので」、必ず「無いに帰着します。」

貧困とは、「無いをスタート地点にする」生き方なのです。だから今仮にお金を持っていたとしても、何れは無くなると信じているので、現実は其処へと帰着してしまいます。

つまり宇宙は「善因善果、悪因悪果」と同様に、「貧因貧果、富因富果」という基本構造なのです。

自分が豊かさをイメージング出来たら、豊かな結果を受け取れる訳です。

貧困とか困窮とは、「減って行く、無くなっていくイメージ」の現実化なのです。

「お金も食べ物も自分の命も、使ったら食べたらそこそこ生きたら、何れは無くなってしまう。」

「お金って使ったら減っていき、何れは無くなって無に帰しますよね。」、そう信じ込むからその通りの現実になる。

じゃあ、お金に困らない人は、一体全体どう考えているのか?

「お金って使っても、仲間を沢山引き連れて帰ってくるので、一向に減らないよ。」

そんな虫の良い事を考えています。

つまり「スタート地点が豊かさなので」、色々有っても何れは其処に帰着する訳です。

だから「お金を出て行くイメージ」で捉えていると貧乏し、「お金を入って来るイメージ」で捉えている人は、豊かに成って行きます。

それゆえ現実とは、自分の意識が懐いたイメージの具現化に過ぎないのです。

戦争も天変地異も自分の意識がイメージしたイリュージョンに他なりません。

だから愛と感謝と喜びだけをイメージして生きていれば、其処が極楽浄土になるのです。


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