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お金の神常識 5 「信仰と不信心」

第一章 「信じるか、信じないか、それが問題だ」

人類の始祖のアダムが信心深かったと言うイメージは無い。彼の息子カインは人類最初の人殺しである。勿論信仰心はあまり無い。と言うか、怒りはしばしば殺人の動機たりうる。神を信じないから罪を犯しやすいのだろうか?ともあれ、人類はカインの末裔(まつえい)だから生まれながらにして罪深い。
つまり「怒りを制し難い」遺伝性質を持っている。まあ怒りの分量は個人差が大きいけれど。

第ニ章 「お金を神と崇める」

ある民族は神かお金かの二者択一でお金を選択したために、事有るごとに神に罰せらる。結局その民族には、神が何者か掴め無いのだから仕方がない。

神とは何かと私に聞くな。答えは各自が自身で見つけ出すべきである。

さて、人類の精神構造を分析してみると、「お金には価値がある」と「信じて疑わない」、なおかつ「自分には価値が無い」と「信じ切っている」。

この人間界の常識は今から瓦解する。するとどうなるか?もしかして、ひょっとしたら、お金に価値なんて無いかもと疑い始め、大富豪をカネの亡者かよと軽蔑し始める。

貧乏人の仕事は、汗水垂らして薄給を手にする事では無くて、自分の貧困感や金欠感や無価値感を一掃して、代わりに「自分には価値が有る」と確信できるまでメンタルトレーニングしていく事になって来る。

言い換えれば、お金を崇めるのでは無く、自分を崇める。自分に価値を認めて自分をリスペクトするのである。

そうすると、世の中は激変する。

自分とは不足感では無くて「豊かさ」なのであり、そう信じて疑わない自分へと意識改革していく。そうした上で、豊かさである自分の分身としてお金に使用価値が生じて来る。つまり、価値の源、豊かさの源はあくまで自分自身であってお金自身では無い。

お金に価値が有ると信じている人たちは、現在の金融システムや経済システムが瓦解したら慌てふためきパニックになるが、自分こそが価値であり豊かさであると知っている人たちは、金融システムの崩壊にたじろぐ事も無い。

最初に金欠感有りきの自分を、最初に豊かな自分有りきに意識改革していくのである。78億人一人一人に自分を意識改革するかしないかを決断させるのだから、逃げ道は有りません。自分が意識を替えたく無い人は、そう言う人生を自ら選んだので文句は言えません。


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