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宇宙の旅人にとっての「自分の居場所」

人間は現状として基本的に他人と接近し過ぎて生きています。ウィルス対策で密を避けましょうと言われても、人々は結局都市や通りに溢れ返っています。

つまり一人一人が自分のスペースを確保出来ずに生きています。貧困と過密は連動しているからです。

他人と居ると疲れます。上司と居ると疲れます。それは自分の波長と共鳴していないからです。

「話せば分かる。」とか言うけど、言葉で伝えられる情報量は限られています。本当に分かり合うには、相手と波動共振するしかないのです。

言い換えると、人間が現状で互いを分かり合うなんて多分不可能です。だから分かり合う必要性は有りません。他人の心の中はブラックボックス化しているので、その全てを知る必要性は無いのです。

地球は果たして私の居場所でしょうか?他の星から転生して来た魂たちは、先ず人類社会のしきたりに困惑します、それで社会不適合者とか性同一性障害とか発達障害とかのレッテルを貼られます。

人間界は、複雑怪奇でその全体像を掴みにくい。学者は専門馬鹿のまま一生が終わります。議論や論争に明け暮れ、定年退職したら年金生活です。

人間界は実は一段下の「修羅世界」の延長線上にあります。それで弱肉強食と生存競争の世界が繰り広げられます。過去を振り返っても戦争ばかりやっていました。そしてこのままでは宇宙に出ても宇宙で戦争をして仕舞います。要するに、マインドが戦争をしたがり、侵略したい、支配したい、征服したいマインドなのです。

他国や隣国を支配したい、他人を奴隷としてこき使いたい、でも真の目的は、「相手の心を支配すること」詰まりは洗脳なのです。

人類をどうやって支配しコントロールするか?人類をマインドコントロールするのは実に簡単です。「催眠術とか呪術」で、人は容易く操れます。色んな個別的能力において、人はAIと競争しても勝てません。支配され従属するしか有りません。邪悪な宇宙人だって人類より遥かに賢いです。

そういう訳で、人類は彼らに逆らえません。知能指数が2~3桁違うのか簡単に騙され実に簡単に従わされます。

自己主張してディベイト力をつけたりするのは個人主義です。その延長に「身内主義」があります。身内は守るけど、それ以外は愛せません。マフィアはファミリーを単位と見做して生きていて、身内外には冷たい。

身内主義の延長が民族主義で、一神教は元々「民族神」からスタートしています。自分を信じる民は護り導くけど、他民族は別に殺しても罪で無い。

この民族神の延長が世界宗教に成っていますから、イスラム教徒はキリスト教徒を駆逐しても構わないと言う論理になります。だからイスラム教徒が日本に来て、日本の神社はアラーの神じゃ無いから、壊しても構わないと言う理屈になります。

民族神からスタートしてるから、宇宙全体を見渡せません。これが現在の一神教の限界です。ユダヤ教でもキリスト教でもイスラム教でもエルサレムは共に聖地です。だから互いに仲良くすべきなに実際は仲良く出来ません。本当は互いが聖地奪還の機を伺っています。

本当の宗教と言うのは、ここには無くてこの先に有る。勿論イデオロギーや科学もこうした限界を内包して、その先に行けません。

個人主義や身内主義を自分軸と誤解する人がいます。自分イコール自我と捉えていると、自分の成功はエゴの自分を満足させることと錯覚してしまいます。身内主義は身内社会を形成します。

これでは「自分の居場所」が曖昧なのです。だから自分の心配事は家族の心配だったりします。其処では「個が自立」しているように見えて実は自立していません。個の境界線が実に曖昧なのです。

「自分と繋がって無い人々」が家族や職場やコミュニティと曖昧に繋がり、プライベート空間が無かったりします。だから自我と自我が繋がっても実際は「他人軸空間」で其処に居ても疲れるだけで安らげません。

ユダヤ教と言う民族神を起源とする一神教も、共産主義と言うイデオロギーも、生み出したのは全てユダヤ人で、その根底にあるマインドは同じです。

つまりユダヤ教とか一神教と簡単に言うけれど、モーゼやノアやアブラハムといった特別目立った超カリスマ以外は、基本的に「堕落して直ぐに他の神にハマりがちな民」なのです。

元来、人間はお金を神と崇めたり、偶像崇拝をしたがる生き物で、それを咎めても解決策には成りません。つまり宗教が「綺麗事」や「建前」を言ってるうちはまだ本物では有りません。

宗教は結局、エルサレムと言う聖地を奪い合う「聖地奪還ゲーム」に留まるのでしょうか?それとも地上の何処か別の場所に「真の聖地」が存在するのでしょうか?

神に見捨てられたからいじけてイデオロギーに走ってしまう。無神論や唯物論に走る。そういう人も大勢います。

宗教戦争がしたくて信者になる人々もいるかもしれません。

千差万別十人十色の地上で、全体を混ぜ合わせながら、人類なるものが何となく一つにまとまって行く。まとまれなかったら、失敗して滅亡して行く。簡単で単純明快です。

「個人主義」だとエゴの個々人が自分の成功を「勝ち取る」しか無い。だから高い医療費を払えない人々は、負け組として放置され、スラム街で薬物中毒になっても放置されます。これが「個人主義社会の限界」です。

互いに助け合える社会、それはボランティア活動とか救世軍みたいにイメージされるかもしれません。でもそれすらまだ「他人軸社会」なのです。

何故なら其処では各人がまだ「自分自身と繋がっていない」からです。

自分の居場所は、この地球しか無い。そう思い込んでしまうと、この地球にしがみつき、死んでも幽霊になって、この辺に留まり続けます。つまり地球から「巣立っていく」のが恐いのです。だからまた来世も地球に産まれて来たい。それは霊魂として「おこちゃま」なのです。「宇宙に飛び立つのは怖いよー。」

現在地球に居る人類80億人全員が、地上天国に移住できたら良いのだけれど···。

現在80億いてもその全員が何時か必ず死にます。だって不死じゃ無いから。だから地球人口の増減と言うのはあまり気にしなくて良い。

今現在人間は80億いるけど、西暦1800年頃は10分の1のたった8億しか居なかった。それで80億人が毎日マグロ美味しいウナギ食べたいと言ってたら、忽ちのうちに食べ尽くしマグロもウナギも絶滅危惧種になってしまいます。

だから地球としては、戦争や天変地異で少し人口を減らして、地球をスリム化したい。地球のダイエットのためのエキササイズが天変地異なのかもしれません。

つまり魂にとって、宇宙意識にとって、「自分の居場所」は、この世でもあの世でも別の惑星でも、何処でもオーケーなのです。

国家や国力が人口の多さだと思い込むから、人口が減ったら大変だと思い込むが、そもそも「国家が消滅」したら国力なんて関係無い。実際近い内に地上から、国家は消滅するんじゃ無いの?米中戦争とか言ってたら、両国ともいつの間にか死にかけてます。恐らく両方とも数個に分裂して小国になりそうです。

つまりこれから既存の「国家という概念」が、消滅して行きます。そもそもアメリカ合衆国が出来たのは、つい最近の話です。

人によっては急激な情勢変化に頭がついて行けないかもしれません。でも激変をワクワクと捉えれば、地球が丸ごとジェットコースターや天変地異を、アトラクションとしてわーきゃー言って愉しめばいいのです。

たとえ万が一人類の人口が、今の10分の1に成ったとしても、「産めよ増やせよ」で忽ちのうちに回復します。実際8億が80億になるのは簡単だったし、80億を8億にするのも実は簡単なのです。人類は今「人口増減ゲーム」にチャレンジ中です。地球はワンダーランドなのです。

誰か特定の人が天変地異を引き起こすと言うより、「人類の集合意識」が天変地異を引き寄せ、地軸の移動を促すのです。

その大激変の最中に、自分がこっちの世に居るか、あっちの世に行くかなんて、どっちでも良くてさして重要では有りません。

人は放っておいても、毎年毎年自然減で死んで行くし、毎年何万人も自殺しています。この世に自分の居場所を見出だせないからです。

例えば地軸の移動で砂漠だった地域に水が湧いたり、今現在大陸だった所が水没したりします。それでいちいち大騒ぎして腰抜かしてもいいし、観測者としてクールに受け止めてもいいのです。

例えば南海トラフ、皆さん自分が被害者に成らないか怖れています。つまりその自分の恐怖心こそが大地震を自分に引き寄せるのです。だから被害者になる人は、予め予想出来ます。つまり異様に怖がりのあの人やこの人なのです。結局人生と言うのは、テーマパークのアトラクションを、わーきゃー言って嬉しむ場所なのです。

大陸が沈んだり、日本の一部が沈没したとしても実のところどってこと無い。ハザードマップに危険地域は予め表示されています。

何が起きたとしても、自分が安心と安全を失わない、人生はそう言うスリリングなゲームなのです。パニックになって心臓発作で急死してもいいし、それはあなた次第なのです。

自分の人生を愛と調和のイメージで保てる人もいれば、不安と恐怖に打ち震える人もいます。

この世かあの世か、地球か火星かなんてどっちだっていいし、どっちにしろ私は何時も何時だって「今ここに」居るのです。




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