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聖書の呪い

人間は、被造物であると聖書に記してある。

つまり、造られし者です。

神に造られし者だから、創りし者足り得ない。

この聖書の呪いにより、人間は永らく創造しているのは自分自身だと気づけなかった。

言い換えると、「外界に反応する存在」、「原因足り得ず、結果でしか無い存在に甘んじて来ました。」

ゆえに覚醒とは、「自分は原因でもいいんだと言う気づき」を指します。

また一神教では「神は一者です。」

つまり「全能なる唯一神のみです。」

だから「創造主イコール一者イコール唯一神のみ」と成ります。

この時点で「人間イコール被造物イコール創造主足り得ない存在」と定義されます。

さて、聖書解釈は暇な神学者に任せましょう。 

例えば、創造主が一つの卵細胞だと仮定します。一つの卵細胞は細胞分裂を繰り返し、無数個の創造主を創造した事に成ります。

その場合、創造主は一者でなく、無限無数個に成ります。この無限無数個の創造主たちを意識とか霊魂とか「分け御霊」と呼びましょうか。

人間や動植物を意識と見做した際、動植物は創造主足り得ないのか足り得るのかは別にして、人間が一個の創造主と言う事は可能かもしれません。

これは聖書の新解釈なのか、それとも「新宗教」なのか「超宗教」なのか?

創造主は一者では無くて、無数に存在するだなんて!

一即多教は怖ろしいなあ。

賛成反対色々有ってどうでもいいんです。

一人一宇宙だから。





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