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人間は感情の動物なのか?

第一章 「生活習慣とストレス」

朝起きたらコーヒーを飲む。眠気覚ましにそうする。カフェイン中毒だから仕方ないのか。それとも寝起きなのにまだ疲労感が残っているせいなのか?現代人がコーヒーを飲むのは、生活習慣として定着している。その多くはカフェイン目的だろう。カフェインを入れないと動かない身体になってしまっている。

カフェインプラス砂糖で自分の血糖値を兎に角上げたい。血糖値や血圧を下げろと医者は言うが、人々は逆に上げたいのである。そして低血糖や低血圧から脱出する為に、間食やおやつを食べる。つまりカフェインを使うか、砂糖やブドウ糖果糖液糖を使うか、その何れかの選択肢しかなく、無理やり血糖値を上げて仕事に励むのである。

第二章 「感情の動物」

人間を欲望存在と定義したり、感情の動物と決めつける人たちがいる。それはあながち間違いではない。

だが、その際の感情とは怒りを爆発させるとか、悲嘆のあまり命を断つとかどちらかと言うと、ネガティブな感情を指し、歓喜にむせぶ生き物といった捉え方はしない。

人間は喜怒哀楽や一喜一憂するが、それらの感情に優劣や波動の上下はあまり意識してこなかった。

つまり、怒りや悲しみよりも喜びの方に至上の価値が有るのだと言った認識はして来なかった。

だが、虹色の最初が紫である如く、最初の感情は「喜び」なのだと言った知識を改めて確認したい。言い換えると、悲しみや怒りは「幸せな感情」とは言い難いのである。

幸せの追求と言う点において、神々は人間よりも遥かに研究し熟知している故に、自分が幸せであるには、如何なる心理状態であるべきかに精通している。

結論を言うと、幸せとは結局自分の心が歓喜の連続である状態、すなわち切れ目の無いワクワク、詰まりはシンクロニシテイの連鎖を追い求めていく生き方なのである。つまり、無上の喜びに留まり続ける技術、即ち波動が落ちる前に次のワクワクに飛び移っていく技術なのである。人間にはまだその技術が無いので、一旦一々其処で落胆したり失望したりする時間が生じてしまう。その落胆や失望や怒りや悲しみの時間をスキップして早送りしてしまえば、歓喜の連続、隙間ないワクワクで人生を謳歌できるのである。




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