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セフィロトの樹、 「不老不死を選ぶ人々」

人類は、その昔神話の時代に「神かカネか」、「住みたい場所は、天か地か」、その二者択一を神さまに迫られて、結局「神は要りません、物とお金を下さい、地上を下さい」と申し出た。それ以来人類は、物不足や金欠で苦労する羽目になった。「地獄の沙汰も金次第」と言う言葉を文字通り信じた大富豪たちは、閻魔大王に何兆円でも貢ぐべく蓄財に勤(いそ)しんだ。人生は「二者択一ゲーム」です、天国か地獄か、お好きな方をお選び下さい。

また一方で、老いか若さかの二者択一にも迫られました。鏡を見て、「老けたなあ」とつい言ってしまう。人生はそれを言ったら負けと言うゲームなのです。

歩き疲れた時、つい「もう年だから」と絶対に言わないようにする。

「だってもう90だし。」、いえいえ聖書では900歳の人も居たと記されていますよ。

時間の中に身を置くから、年取らなくちゃと固定観念に毒されます。

「おいくつですか?」と聞かれて、実年齢で答えるからいけない。「私は16歳です。」と「精神年齢だけ」を答えましょう。

「老化」とは、宇宙から生命エネルギーを潤沢に受け取れないから起きる現象です。つまり外界や他人に振り回され一喜一憂するから疲れて老け込むのです。

だから不老とは、自分軸に立ち返ることで可能になります。宇宙の生命エネルギーを欲しいだけ受け取れます。だからフォエバーヤングなのです。

鏡を見て、「老けたなあ」と言ってしまう。それって間違った生き方です。老けたと言う現実を「認識」してしまうから老いる。そうでは無くて、若く在りたいのであれば、鏡に向かって「I am young.」と肯定的フォトンを打ち出せば良い。

セフィロトの樹(Sefirot)は、別名「生命の木(Tree of Life)」とも呼ばれ、「善悪知るの木」同様「エデンの園」に植えてあった。

人間のアダムとイブは「善悪知るの木の実」だけを食べ、まだ「生命の木の実」は食べていません。それでその木を捜しに、徐福も日本に大軍団で探しに来ました。富士山が不二(不死)の山とも言われるのは、手掛かりが日本にしかないと知っていたからでしょう。

「不老不死なんて簡単!」とついうっかり口を滑らすと邪悪なユダヤ人やシュメール人に狙われかねません。

ユダヤ教徒は何も知らないからイエス・キリストを殺してしまいます。彼に「セフィロトの樹は何処ですか?」と聞けば、教えてくれたかもしれないのに!ユダヤ人はビッグチャンスを逃しました。一度逃すと次に巡って来るのは、数万年先だったりするから、不用意に十字架に掛けてはいけないんです。私は寛容なので彼らを裁いたりしません。

人間の体調不良はこのセフィロトの樹の構成パーツの何れかの不具合によります。人間は各人各様に欠点や弱点を抱え持つポンコツ人間で、それを個性的と認め合えば良いのです。

ここでのキーワードは、他人や自分を「攻めないし、責めない。」現今の人間にはハードルが高過ぎますか?「私、自分責め得意です。」いや普通そうでしょ。

「人間とは精神と物質の結合(エンタングル)」ですから、何れ肉体を脱ぐ時が来ます。それを「死」と呼んだりして、人は怖れたり忌み嫌ったりしますが、死とは上着を一枚脱いで、隣りの部屋に行くだけの簡単な話です。「魂と言う不死の部分」は何ら現行と変わりません。

「私は最初から生まれもしないし死にもしない。」ただ上着を着たり脱いだりしただけなのです。それを簡単に悟ってしまうと、神様には面子もあるから怒ります。それが楽園追放やバベルの塔の逸話です。一人で勝手に悟るなみたいな。

「神とは何か?」その答えをユダヤ教徒もキリスト教徒も知りません。彼らが宗教を棄て、イデオロギーを捨てた時、初めて真実と出遭えるのでしょう。宗教への執着が身を滅ぼします。
聖書に執着するから黙示録的未来を引き寄せて滅亡しちゃいます。引き寄せ法則はその原理に忠実なのです。

不老不死とは、死体の冷凍保存やクローン技術では無くて、自分の中心軸に戻ることなのです。肉体の7つのチャクラの延長線上に「光の柱」が立つことがセフィロトの樹の完成なのです。そのサンプルがイエスや仏陀です。キリスト教や仏教と言う宗教だとたどり着けません。宗教やイデオロギーは基本的に戦争しかしません。だから滅亡する運命なのです。

「永遠の生命」を宗教はあちこち探し廻りました。チルチルとミチルのように。或いは徐福のように。でもそれは最初から「今ここに」有ったのです。「約束の地」は本当に「カナン」だったのかな?それとも聞き間違い?モーゼは何処に行っちゃたの?日本に有るモーゼのお墓は「村おこし」の一種です。ただ幾つも有る並行現実の一つにモーゼもイエスも海を渡り日本に漂着した可能性は有り得ます。民を率いたり磔にされたりと、苛酷な人生を生きるのも悪くは無いが、日本でのんびり余生を送り数百年生きたってそれはそれで楽しい訳です。魂の故郷だから。

生命とはエネルギー循環だから、血行不良や低酸素低体温だと病気にも成ります。宇宙エネルギーを流すパイプを「生命の木」とか「セフィロトの樹」とかトーラス(torus)と言うのです。トーラスにより円と言う「平面を局面化」出来ます。つまりエネルギーの循環モデルです。トーラスを「宇宙の形だ」と言う人もいます。

結論。宇宙とか生命って「エネルギーの循環」なのです。人間は宇宙に「生かされて初めて、活かされる。」知識だけじゃ駄目なんです。生命の息吹が吹き込まれて無いから。人間は頭でっかちになり、ハート(心臓)を疎かにしたまま失楽園を彷徨い続けました。

「生きている、ただそれだけで私には価値が有る。」それに気づくことが魂の旅路です。天から降りてきた蜘蛛の糸に、皆んなでしがみついたら、細い蜘蛛の糸はプチンと切れてしまいます。各人が自身の中に有る秘密の螺旋階段を、各自めいめいに登って行くのが正解なのです。

セフィロトの樹は、人体の中に有る「秘密の循環経路」なので、外界をあちこち探し廻る人には決して見つけられません。「汝自身を知れ」と言う訳で、八咫の鏡に聞いて見ましょうか?





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