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アファメーションと現実世界

第一章 「学歴より病歴」

その人の一生が女性遍歴やスキャンダルの多さで語られるのは芸能人としては本望だろう。

プロレスラーはマットに叩き付けられるのが仕事だから、背骨がズレたりするのは職業病と言えるだろう。あちこち壊れては修復して平均寿命に近づく頃には人並みに病院のベッドが居場所になって来る。人の一生は総じて波乱万丈で、終生平穏無事という人は少ない。

思想家は自分の思想遍歴を熱く語りたがり、病人は自身の病歴や病状でその場は盛り上がる。だから病気も怪我もした事がないと話しに加われない。健康な人は基本病気に関心を向けない。

第二章 「アファメーション」

アファメーションとは、肯定的宣言と訳されたりする。「I am rich.」と一日何回もつぶやくことでリッチな自分になれるかもと信じてこう言うアファメーションを繰り返すのである。

だがアイ・アム・リッチとつぶやく度に、現実はそうじゃないけどと一々否定する自分が居る。

それは何故だろうか?人は現実世界と言うマトリックスの中に生息し決してその外に出ようとはしない。だから何時も何時も現実を逐一認識してしまい、現実を全ての基準にしてしまいがちです。其処には現実はイリュージョンに過ぎないと言う気づきが有りません。

どうしてそうなるのでしょうか?自分を三次元空間に限定し、三次元にだけ焦点を合わせて生きるのが人間の常態だからです。

三次元と言うイリュージョンを認識してしまうからそう言うことになります。

アイ・アム・リッチと言うアファメーションは三次元にのみ限定した発言では無くて、高次元も含んだ時空的発言と考えれば良い。そうすれば、自分の認識した三次元を見て一々否定しても意味がないと解ります。

こうしてアファメーションを一々否定する三次元的自分の無意味さから否定そのものの無意味さに気づきます。

三次元的認識は何の基準にもなり得ません。認識は無意味なのです。

アファメーションのみに価値が有り、アファメーションを否定したがる現実認識には意味が無い。だから、アファメーションは成功する訳です。

人は言動の正しさや真実性を現実世界で検証したがる。だが、現実世界がイリュージョンと知る人には、現実世界は基準や物差し足り得ません。

第三章 「一見は百聞に如かず」

Seeing  is  believing.(百聞は一見に如かず)を逆にして、Believing  is  seeing.にしてみると、「自分の信じたものしか見えては来ない」と言う格言が出来上がる。この5次元的格言を最初に言い出したのはバシャールかもしれない。

自分の信じたものが現象化し現実化する訳です。

だから、自分と言う信念の総体をはっきりさせないといけません。

アファメーションしたいなら、それを否定する自分をどうしたらいいのか。現象世界とは何なのか?其処をはっきりさせる必要がある。

自分とは全肯定であって、否定ゼロの生き物なのだと定義しても良い。

認識が捉えた現実は「全て過去」であって、「今ここ」には、一切の過去と無関係なナノ秒単位の自分しか居ないのだから、現実と言う過去に一切縛られない自分なのだと考えても良い。

自分がアファメーションしたら、アファメーションに成り切る自分でありたい。それが自分の発する言霊を100%信じると言うことかもしれません。現実はどうあれ、現実に関係なく、アイ・アム・リッチなのです。それが現実の現象面でまだ具現化していなくても関係ないのです。

アファメーションの仕方とは、現実世界との付き合い方とも言えます。貴方はどの時空でアファメーションしましたか?三次元限定ですか?それとも絶対空間でアファメーションしたのですか?人生とは、時空の冒険です。三次元だけに限定するのは賢明では有りません。




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