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時間の矢

時の経つのは早いもので、今年も残り2ヶ月ちょっとです。それで時が早く経つのが嬉しいのか哀しいのか、嘆いているのか喜んでいるのかと言うと大抵の人は嘆き悲しんでいる。人生の残り時間を考えてしまうからです。

「人生を楽しきことのみ多かりき」にしたいのであれば、「嘆き悲しむ」と言う感情は多分必要では無い。

時間の矢は、エントロピーの増大と言う熱力学的法則が産み出しているが、その法則を発明したのは、人間です。詰まり「人間の物の見方」が時間の矢を創り出した訳です。何のことは無い、時間の矢は人間の意識が勝手に創り出したのです。何の為に?自身が「老い」を体験する為です。

三次元に産まれる意味とは何でしょうか。プロセスを体験してみたい、ストーリーを味わってみたい、詰まりは「視野の限定」が動機です。

全ての物事が一挙に同時に起きたら、ストーリー展開即ち物語性を愉しめません。重い石をよっこらしょと苦労し四苦八苦して動かす。其のことで達成感と自身の微力感を両方体験できます。

無力な自分が非力や無力を卒業して、半知半能へと成長していく、そのプロセス、そのストーリー性を味わうにはゆっくり時間を掛けて達成された方が良い。

逆に言うと、シンクロニシティは三次元では稀でないと困ります。奇跡も稀だし、ラッキーも稀です。人間が五次元に進化成長した暁には、その分だけラッキーや奇跡は常態化し頻発し、シンクロニシティは当たり前となって行きます。

そして人間の半能性が全能性へと成長するに応じて、「時間の矢」は可逆性を帯びて来て、その分老化は減少していき、老いの対極に在る若さが意識体に思念されがちになって来て、「若返り」は常態化し始めます。この時、科学者たちはエントロピーは増大してもいいし減少してもいいと言い出します。

プロセスやストーリー性は時間を必要とします。達成感だって時間が要ります。詰まり、達成が瞬時性を帯びるに従って、プロセスは省かれ、フィルムのコマ数はスキップされます。30分の動画を十倍速で見ているうちに、もう結論だけを十秒で言ってよとなって来ます。詰まり、視野の拡大こそが同時性であり全知感なのです。

言い換えると、時間の不可逆性は人間の進化に応じて、「時間の可逆性」へと進化する訳です。

人間は「時間は客観的に存在する」と信じ込んでいます。そして人間の進化成長に伴い「時間は人間の主観が創り出すのだ」と解って来ます。

時間も空間も宇宙も実は「自分と言う意識」が、産み出したのでしょう。だとしたら、「死と言う幻想」や「老いと言う幻想」を産み出したのも自分です。だから、何れ「老いも死もイリュージョンであって実在しない」と気づく日がやって来ます。そして「あーやっぱり私って不老不死だったのか」と再確認したら、やっぱり生き地獄は辞めにして、愉しき事のみ多かりきじゃ無きゃねと結論するに至ります。




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