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「現実をチラ見してるようでは駄目です」

現実とは、幻想です。其処に確かな物は、何も無い。

造られては壊されるの繰り返しです。

だから「現実とは、夢なのです。」

貴方は夢なのかもと頬を抓(つね)ってみます、そして夢じゃ無かったと結論づけますが、抓ってみたら痛かったと言う夢なんです。夢から醒(さ)めないようによりリアリティーを持たせている夢、言い換えると「現実って手の込んだ夢」なんです。

そうなると、この夢に過ぎない現実世界とは一体何なのかと言う事になります。

そうなると、「現実世界の解釈学」に成って行きます。

現実世界と言う物に、特定の意味は有りません。つまり「中立なのです。」

その元来は中立で無色透明な世界に、私たち人間が其処に自分の色眼鏡と価値観で見た「解釈」を与えて行くのです。

詰まり、意味を与えるのです。現実を「理解」しようとする訳です。

例えばの話、自分は会議に間に合わせる為に電車に乗ったのに、実際には会議に間に合わなかったとします。

これは電車のせいか、それとも自分のせいなのか?と問います。

そして「今日はツイてるツイてないと言った運不運の問題に持って行きます。」

挙句の果てに、朝食のパンとコーヒーがイケなかった、パンが焼け焦げ過ぎだったからツキが逃げたなどと結論づけます。

つまり電車に遅れた不運の理由を探り始めるのです。

こうなると、「遅れて却ってラッキーだった」と言う方向には向かえません。

「現実って如何(いか)様にも解釈可能なのに、自分の価値観では自分風にしか解釈できないんです。」

「私、現実を変えたいのに変えられないんです。」

「或る人から聞いたけど、自分の意識を変えたら現実が変えられるんだってさ。」

「だから私、最近自分の意識を変えて見たのよ。」

「私の現実、変わったかなあ。」

「現実をチラ見してるようでは駄目なんです。」

その状態では、「あなたはまだ現実にどっぷり浸かっているからです。」

カピバラ湯。


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