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意識エネルギーの出会いと別れ

明るさは距離の2乗に反比例します。光の届かない深海とか宇宙の果ては、闇に包まれているのでしょうか?それで闇は光とどうエンタングルしているのでしょうか?光は放っておくと放射線状に拡がります。無条件の愛だからです。私は冬の日向ぼっこを通して至福感と出会います。

光の速さは秒速30万kmですが、音の速さは秒速340mと随分遅いです。で光は何故音より88万倍も速いのでしょうか?人間の場合、100mを10秒で走れるから秒速10mですが、42kmを2時間で走った場合は秒速5.8mにダウンします。光陰矢の如しと言うけれど、スローライフは亀の如しでオーケーなのです。大体、光が速いと言っても、太陽光が地球まで必死漕いて走っても8分もかかるのですからさして速くも有りません。今見える太陽は8分前の過去の太陽に過ぎません。今現在の太陽を肉眼では今見ることが出来ないと言うのも何だか不思議な話です。

人間界と言う名のアトラクションパークで、人間は一体何を体験したかったのでしょうか?例えば、心霊現象と出会いたくて心霊スポットに行く、或いは人類滅亡を体験してみたくて核戦争の起きそうな平行地球に転生してみる。ある人はペットとの別れが辛いからと言う理由でアセンションを諦めます、でもそれって結局自分がアセンションしない道を選択したかっただけなのです。また或る人は、アナコンダに噛まれて見たくてアマゾンに行き、帰らぬ人となる····。

人によっては、次元下降を体感したくて、皆んなで堕落したりします。ソドムとゴモラもその口か。普通、タイムトラベラーと言うのは歴史上の有名人に遭ってみたいとか、墜落する飛行機に乗り合わせてみたいとか大抵ネガティブな動機に流れがちです。詰まり過去にタイムスリップしたがるのです。それって本当にワクワク出来ますか?また或る人は、幽霊と出逢って恐怖に青ざめてみたくて、夜の墓地を散歩する。この世は、恐怖や哀しみと出会いたい人間が多過ぎるのです。

歴史上の過去に行きたがるのも実は少しネガティブなのです。だって思い切りハッピーでラッキーな体験って、突き抜けた歓喜、極限状態のエクスタシーなのです。だから既に過ぎ去ってしまった過去じゃ無くて、棚からぼた餅とか、歓喜で失禁するような出来事、或る朝目が覚めたら大富豪だったとか、善良な宇宙人とのファーストコンタクトを体験してしまうとか、人類史上初の宇宙初の大イベントをこの人生で体験するとか、そう言うのがこの世における最高最善の体験なんじゃ無いの?

或いは例えば、神様からベーシックインカムとして一人一個ずつ銀河宇宙を無料プレゼントされるとかでもいいなあ。本当は、恐怖の中の飛び切りの恐怖じゃ無くて、歓喜の中の腰抜かす歓喜と感涙を味わいたくて、地球に生を受けたはずなのです。戦場で撃ち殺される為にわざわざ地球に転生したんじゃ無いんでしょ。被害者になりたい、犠牲者になりたいと乞い願い、人喰い人種に会いに行くのはとても賢明とは言えません。

人間界は血縁に拘ったりします。それで夫婦は赤の他人と言ったりします。霊的繋がりは軽視したいからでしょう。実際には人間は血でもあり霊でもある。肉体も血液も、生命も直感も霊感も全て宇宙エネルギーの一種なのです。そして宇宙エネルギーは、シェルピンスキーのギャスケットを使って、フリーエネルギーに転用出来ます。詰まりエネルギーを分枝させて小さくしてから使用します。これはノーブレーキで走っている光を低速化する技術であり、波動を下げる方法なのです。

元来、他人とは自分です。そしてその本来性から外れたければ、自と他を区別し始めれば良い。元々一つの物を二つに別ける。善と悪とか、自分と他人とか·····。

イエスは「汝の敵を愛せ」と言いました。ところが大統領は「汝の敵を殺せ」と命令するんです。どっちが正しいの?どっちも正しい?いや本当は、正しいかどうかじゃ無くて、愉しいかどうか、魂が喜べるかどうかなのです。

今80億人いる人類一人一人に「他人とは自分なのです。」と説いて回りましょうか?人生100年時代と言えどもその時間的余裕は有りません。地球を訪れた宇宙人に弾道ミサイルを発射するのが人類の現状です。それじゃあファーストコンタクトも遠退きます。地球人の振動数が毎秒20万KHを超えないと宇宙人の姿は視えて来ません。最近離婚率は増えています。お前の顔なんか見たくない、そう言って夫は妻と別れます。人間関係に永久の愛は存在しないのでしょうか。血の繋がりのある親子さえも実はシュミレーションゲームなのです。否、ロールプレイングゲームなのです。人生とは「大人のおままごとであり宇宙の霊的旅芸人一座」なのです。そうしたロールプレイを通して何かを学び何かに気づけるのです。

霊能者は、自分の意識を霊たちに振り向けるので霊が見えます。心霊スポットを訪れる人たちは幽霊と逢いたいのか、それとも妖怪と遭いたいのでしょうか?人間は今は人間たちとのみ会いたいから、自分の意識を人間だけに振り向けて生きています。それが此れから宇宙人とも遭いたいと言う人間が増えて来れば、普通に宇宙人が視えるようになります。それで「神との再会」とか「未来生の自分との対話」とか「エゴの自分と本当の自分が面会する人生体験」とかが、今生もしくは来生辺りに訪れて欲しい気もする訳です。





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