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「意識の大きさ」、 「意識の居場所」

第一章 「意識の大きさ」

人間は通常自分を「ちっぽけな存在」と定義し、それを頑なに信じて生きています。

それゆえ自分と言う「意識の大きさ」は、それに見合ったコンパクトな大きさに留まっています。

そしてこのコンパクトな自分は、それに見合った「無力な自分、無能な自分」足らざるを得ません。

だから大自然を前にした時、人は判で押したように「自分はなんてちっぽけな存在なんだ」と口走るのです。

自分で自分の事をちっぽけな存在と貶(けな)して生きているから、詰まらない人生になるのです。

巨大なガンダムに乗り込むのは、ちっぽけなコンパクトサイズの人間です。

じゃあ巨大宇宙船に乗り込んでいるのは、巨人族かと言うと、そうとは限りません。

高次元からこの三次元に降り立った時、最初は自分のサイズ感が定まりません。だから恐竜とか昆虫のサイズはデカかった。

そして当初は、自分の意識の大きさに比例して、身体もデカくないといけないと思い込んでいました。

でもよくよく考えてみると、「意識の大きさ」と「身体の大きさ」を正比例させる必要など無くて、むしろ宇宙船に乗るにしても、身体サイズがコンパクトな方が何かと便利なのです。

また巨体だと大食する必要も出て来ます。

だから理想的には、コンパクトな身体に巨大な精神をエンタングル(合体)させればいいのです。

そうなると、「ちっぽけな自分」と言うコンセプトは、書き換えが必要になって来ます。

「ちっぽけな自分」イコール「無力な自分」だからです。

人は自分と言う存在が、意識とか霊魂とか魂だと薄々気づけたとしても、その「意識の大きさ」は脳みそ大とか頭部大ぐらいと想定してしまいます。

言い換えると、「自分の意識の大きさ」が、「自分の身体よりもデカイ」とは想定出来ません。

でも正しくは、「自分の意識」は、「自分の身体」よりも大きいのです。

つまり人に依るにせよ「自分の意識の大きさ」を、ピンポン玉やソフトボール大しかイメージ出来ないのです。

自分が想定する「自分の大きさ」が、イコール自分の「無力さ」や「無能さ」と正比例しているのです。

それゆえ、自分の可能性を拡げ得た人たちは、「自分の意識の大きさ」を拡大できた人たちなのです。

だからイメージトレーニングとして、自分の意識の大きさを「~cm」から「~m」へと拡張すればいいのです。

三次元人と五次元人の違いとは、この「自分と言う意識の大きさ」のイメージングが異なっている点でしょう。

それゆえ次元上昇とは、自分の「意識の拡張とか拡大」と言えるのです。

ちっぽけな自分だから、大統領や総理や独裁者の言いなりになるのです。ちっぽけな存在だから自分の病気を自分で治せないのです。

だからちっぽけな自分は辞めにしましょう。数センチの自分じゃ無くて、数メートルの自分をイメージングして下さい。そうしたら人生はもっともっとハッピーになります。

第二章 「意識の居場所」

現実世界って夢なのか、幻なのか?夢と現実は果たして区別可能なの?

この世かあの世か何て、どうでもいい話です。

何故なら意識はそんな区別に端から興味が無いからです。自分の意識が今感じた事が、自分にとっての現実(リアル)なのです。

今80億人居るけど、大半大多数が「現実とは何か知りません。」

だから夢の中か、マトリックスの中か分からないで生きています。

「自分の意識を向けた物が現実化する。」

この単純明快な真理が人間人類に理解されていません。

「山火事」や「洪水」のニュースを聞いたら、それは自分の人生に現実化し易いのです。「戦争」のニュースを耳にしたり、「有事」を想定するから、貴方の人生は其処に突入してしまいます。意識を向けるなと言ってるに、意識を向けてしまいます。

ところで山火事や洪水に際し、車で逃げたら渋滞して逃げ遅れ被害者になります。それってサバイバルの常識でしょ。

自分の意識を「現実と言うマトリックス内」に留め置くとろくな事は有りません。

だから自分の意識は、「時空を超越して存在させた方が良い」のです。時空を超越しているのだから、現実の如何に関わらず、意識は望む現実を創造できるのです。

夢か幻か、夢か現実か、この世かあの世か、そんな事に関係無く、自分の意識は時空を超えて自由に自在に生きれば良い。

つまり自分の意識を五次元に置きながら、三次元の肉体身体を楽しめば良いのです。意識を三次元のネガティブ現実内に置くから、天変地異や戦争や疫病に翻弄されて慌てふためくのです。ちっぽけな自分でいるから、他人や国家に振り回されて、泣き喚(わめ)き怒り狂うのです。

そもそも国家は腐敗し堕落します。指導者は利権を貪(むさぼ)り、私腹を肥やします。そんなの当たり前。目くじらを立てて怒ったら、世の中良くなるってか?そんな訳ない。

ネガティブ現実やネガティブ指導者を現実化させ引き寄せたのは、自分自身であって他の誰でも無い。「あの総理さえ居なければ····。」

その貴方の世界に対するネガティブ解釈こそが、貴方のネガティブ現実を創造するのです。分かったつもりでまだ解って無い。

望む現実は、全てをポジティブに解釈していく事で可能となる。誰かをネガティブ批判する限り、貴方の人生は好転しません。

人類はネガティブ思考しか出来ない。それは多分正しい。現実世界にトラップされているからです。

ネガティブ思考の行き着く先は、第三次世界大戦や核戦争や人類滅亡です。貴方の意識をそこにしか向けないからそうなる。

簡単に見えて難しい。難しいと思うと余計難しい。意識をそっちに向けなければ、貴方が被害者や犠牲者に成らずに済みます。

台風被害に遭いたい人、戦場で被弾してしまう人、人生には多種多様な苦難や苦労が用意されていて、選り取り見取りなのです。

病気になり、闘病生活の日々。生き地獄の国に産まれ、国外逃亡もままならず····。

不幸を数え挙げたら切りがない。

だから楽しい事のみ数えて生きる。被害者にも犠牲者にもなるまいと決意しないといけない。悪人だらけの国に居たら、厭でもとばっちりを受けます。

現実とは、意識の見る夢です。だから悪い夢なんか見たら損なのです。他人や国家に悪い夢を見せられてはいけないのです。自分の人生や現実は、自分が意識的に創造しないと、他人に創造されて迷惑を被るのです。

「自分の宇宙は、自身が創る。」

他人に創らせたら負けなのです。だから時空を超えて、好きな事をして嬉しく生きましょう。この世も楽しみ、あの世も愉しむ。いい夢を見て、いい現実を生きましょう。

苦しんでもいいし悩んでもいい。苦しまなくてもいいし、悩まなくてもいい。自分が意識して選択していかないと、望む現実はやって来ません。

人間は放おっておいたら、望まない現実に意識を振り向け、ネガティブ現実ばかり創造してしまいます。

貴方の「意識の居場所」は、この世ですか、三次元物理空間ですか、それとも時空を超えた超越的次元ですか?

望む現実と望まない現実、貴方はいつもどちらを選んでいますか?


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