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意識の年末大掃除

第一章 「邪念、雑念、怨念」

人間界の垢にまみれていると、人間関係のストレス、パワハラやセクハラ、過去のトラウマ等が纏(まと)わり付いてきて自分が重くなっていきます。その都度過去を断捨離していける人ばかりでは無いから、忸怩(じくじ)たる思いを引き摺(ず)ったりして、生きるのがしんどくなります。

年末年始は自分の意識内を大掃除するチャンスです。自分に出来る範囲で部屋を片付ける。神社やお寺に詣でてみる。其処にはパワーが宿っています。

三次元と言うか物理次元は、物で満ちています。物は劣化し老化し、老朽化し錆びて朽ち果ていきます。瓶(かめ)の水は淀んだら腐ります。

人間の意識は、邪念、雑念、怨念、意地悪、嫌がらせ、誹謗に悪意とバラエティーに富んだ低波動を日々発しています。だからお祓いや禊(みそ)ぎ、清めとか浄化が必要になります。人は何故他人にダメ出しをしたいのでしょうか?永い間の生存競争や出世競争の名残りでついそうしてしまうのでしょう。

自分磨きとか魂磨きに精を出すと、自分が聖者か聖人君子になってしまい、何だか面白く有りません。だからと言って、意地悪婆さんで居続ける必要も無いでしょう。

現代の人類に「愛が不足」しているのは間違い有りません。侵略とか征服とか支配と言ったベクトルを、何時まで経っても手放せ無い人たちがいます。それを許してしまう土壌として、侵略されたい、征服されても仕方が無い、支配されるのはやむを得ないと言う人々が対極に必ず存在し続けるからです。詐欺師の詐欺行為が成り立つには、その対極に詐欺師に騙される一定以上の人たちが存在し続ける必要が有ります。

第二章 「お金のトラウマ」

「私はお金に縁が無い」「私は底辺だと思う」「心的外傷からエネルギーが漏れてる気がする」、こうした自分の内奥に潜む古びた信念体系は新年を機に改めて行きたい。

では具体的にどう言った信念が望ましいのでしょうか?先ずお金を毛嫌いするのを止めます。と言う事は、「私はお金を愛しています」「私はお金が大好きです」と口に出して言ってみます。もし口に出して言って見て、心理的に抵抗が有ったらならば、あなたはまだお金に好かれてないと言う事になります。

お金は将来的には消滅しますが、当面は「豊かさのシンボル」として存在し続けます。だから私はスピリチュアルなのでお金は必要無い、と拒絶するのは正しく有りません。「お金イコール豊かさ」では無くて、幾つも有る豊かさの一つとしてお金が存在し続けます。遠い将来、社会は「私有から共有」へと大きくパラダイムシフトします。でも今現在、人類は「私有」を止めていません。「もう私有は止めましょうよ」と集合意識的に同意される時が来るまで、暫く時間が掛かります。

だから当面は「お金は使ったら減っていく」と信じる古びた有限信仰を改め、「お金は使っても減らない」と「豊かさの無限性を信じる」信念体系を採用するのが望ましい。

起きて生命活動をしたら疲れて眠く成ります。だから人は「睡眠や安眠」で生命エネルギーをチャージする訳です。ところが横になって考え事をしていたら、寝付けなくて却って疲れます。脳神経が休んで無いから疲労感が残るのです。だから「睡眠とは安眠である」と正しく定義し、睡眠時は雑念を懐いてはいけません。

元来、豊かさとは「減らないから正に豊かさ」なのです。「使ったら減る豊かさ」は、偽の豊かさ、詰まり「有限な社会に於ける豊かさ」なのです。

自分を三次元だけの限定存在と定義するから生命エネルギーや精気が直ぐに枯渇してしまいます。宇宙から、高次元から、本当の自分から、流れ込んで来る「豊かさや生気や活力」或いは「エネルギーとか愛」は、それを自分が堰き止めない限り「無尽蔵に自然に」流入して来るものなのです。詰まり、自分は貧乏なんですと「現状認識」してしまったのがいけなかった。では現状や現実を認識しないで、どうするのが正解なのでしょうか?

現状や現実はイリュージョンだから、気にしなくて良いんです。そうでは無くて、自分の望みをハッキリ掴み取る。「望み」とは何でしょうか?この世はコントラストの世界ですから、両極端が鮮明になります。詰まりここでは「豊かさと貧しさ」の対比です。それで現実を認識するのでは無く、豊かさと貧しさ、どちらを望むのか本心に聞きます。本心は「豊かな自分」を望みます。ホームレスの中には貧しさの方を望んだりしますが、それは恐れや不安がそうさせるのです。そう言う訳で、現状認識では無くて、自分の望みの方を最優先していくのが正しい生き方なのです。その際大事な事は、貧しさを「排除しよう、取り除こう」としない事です。また貧しさに「敵意や憎しみ」を懐くのも適切では有りません。ただ単に、常に豊かさを「意識的に選択」し続ける事が大切です。現実認識とは、貧しい自分の固定化、詰まりは「豊かさの否定」に他なりません。だから現実は必要ないと言えます。

第三章 「新年と新生」
と言う訳で、去年までの自分は、この際全て御破算にしても構いません。雑念も怨念も置いていきます。「無からの創造」とは、全く新たに生まれ変わって良いと言う事です。「愚痴は言わない」「恨み言は口にしない」、そう言う自分にチャレンジしてみる。「まあ人間だもの」、人間で居たい、神人類は嫌だとエゴの自分は抵抗して来ますから、今の自分に出来る事だけをやって行けば良いのです。

第四章 「潜在意識は三歳児」

大多数の人は潜在意識の書き換えに成功しません。潜在意識は、聞き分けの無い三歳児なので、一度や二度口で言っても解らないそうです。それで大半の人は根負けして書き換えを諦めるそうです。ごくごく少数の馬鹿の一つ覚えみたいな人だけが、書き換えに成功するようです。詰まり、大多数の潜在意識は、可もなく不可もなしで成功したいし失敗も不可避と信じているので、人生山あり谷ありに留まり、潜在意識を一方に傾ける前にギブアップしてしまう訳です。「自分対潜在意識」の「根負け合戦」に勝利を得るのは、やはり凡人では無理のようです。でも人生は基本暇なんだし、テレビ観たり、ゲームやったり本当に暇つぶしなのだから、どうせなら自分の潜在意識を「根負け」させて、望む人生を手に入れてみるのも悪くない。「自分は根性無しです」と改めて胸を張るのは止めて下さい。自分の潜在意識の書き換えを「生活習慣」にすればいいんです。一日一善みたいな、朝のルーティンみたいに潜在意識を書き換えていく。そうこうする内に、自分のDNAも書き換わって行くはずです。






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