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豊かさへの道標(みちしるべ)、 「ニュースのニュース価値」

第一章 「情報の全透性」

メディアによって垂れ流されるニュースを無意識的に、無批判的に受け取ってしまう人たちがいる。ニュースにニュース価値が有ると盲信的に信じ込んでいるのである。果たしてそのニュースにニュース価値は有るのでしょうか?そう言う視点が欠落しているんです。恐らくニュースに価値など無いんでしょう。つまり貴方にとって無価値な情報が毎日毎日垂れ流され、それを貴方は惰性で受け取っている。それは何故だろうか?

ニュースは通信社が日々メディアに垂れ流す。誰がそのニュースを取材したのか?ネガティブ人間たちである。

通信社から垂れ流されるニュースを通信社から買い取って各国国民に垂れ流すのが、新聞やテレビといったメディア業界である。このメディア業界の業界人は全員が全員ネガティブ人間たちである。だからニュースイコール事故、事件、悲惨や惨劇、不幸や不運、不安に懸念に遺憾に心配のてんこ盛りにならざるを得ない。だから「明るいニュース」なんて本当は流したくない。業界人は全員が根暗にして邪悪、不幸の塊といった連中である。

だからニュースは聞くに値せず、見る価値も無い。見たら目が腐る。聞いたら耳が汚れる。

人間は何故日々ニュースを欲しがるのか?人間は基本ネガティブで根暗だからである。事件や事故を毎日見ないと落ち着かない。小学生が車に跳ねられて死にました。それを聞いてあなたは嬉しいか?嬉しくない。悲しかったり怒ったりする。こうして人間は放って置くと悲しんだり怒ったりするだけの下等な感情動物に成り下がる。

それは感情の量や質が見えないからである。他人を見たら兎に角ケチをつけてみたい、腹を立て誹謗中傷してしまう、何故なら怒りや悲しみがノーマルで、悦びや愉しさはレアだからである。

ニュースにニュース価値が有るとは、そのニュースが自分を幸せにしたり、喜ばせる場合のみである。自分を不幸にするニュースなんか見るに値しない。不幸の手紙と言うのがある。人を不幸にしたくて手紙を送る。それは何故なのか?ネガティブ人間だからです。

第ニ章 「三猿で行きましょう」

「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿が、貴方を幸せへと導きます。ニュースを見ない貴方は、ストレスフリーだから精神が安定し、精神安定剤を必要としません。睡眠薬も要りません。

第三章 「選択的透過性」

細胞膜には「選択的透過性」と言う卓越した性質がある。それ故細胞内のカリウムイオンは細胞外のナトリウムイオンとイオンバランスを保ちうる。

それを見習って貴方は、自分の欲しい情報だけを選択的に選ぶことは果たして可能でしょうか?

自分にとって望まない情報を一切遮断して、望ましい自分にとって有益で有用な情報のみを入手する。そう言う自分になることが人生の目的だった訳です。と言うことは80億人の大多数が人生を間違って生きていた訳です。頽落し堕落し切った人間の人生を見て、堕落天使も恐らく呆れ顔でしょう。

人間とは、思考と感情と欲望をミックスした練り物と言えます。それで自分が日々懐く欲望は何と何ですか?その欲望を懐くことで貴方はどれ位の幸福感を手に入れただろうか?酒を飲んだつもりが、酒に呑まれていただけかもしれません。

第四章 「情報とは」

情報とはゼロとイチの羅列です。或いは塩基の配列に過ぎません。当たり馬券はこれだと言う予想を信じてもなかなか当たりません。

宗教を信じて見ても、天国には行けません。

第五章 「感情の階段」

三歩進んで二歩下がるを繰り返していたら中々願望は現実化しません。うつ病から怒りへ、怒りから不満へと感情の螺旋階段を登って行けば、人は無力感から可能感へとグレードアップできます。

第六章 「豊かさを許す」

社会がピラミッド構造を維持するには、庶民とか底辺、下っ端と呼ばれる人たちが必要です。

彼ら庶民は一様に金持ちや権力者や利権享受者を批判します。つまり、嫉妬と怒りです。「金持ち許すまじ」のマインドです。

もしも自分が豊かに成りたければ、他人の豊かさを許容しないといけません。

言い換えると、他人に富の流入を「許す」から、自分にも豊かさが流れ込んで来る訳です。つまり、豊かさを手にしたのが他人か自分かに関わり無く、豊かさを手にしたことそれ自体を愛でる。其処で豊かさの「流入を許した」から自分にも豊かさが流入して来る訳です。

貧乏人は美味いことやった人を「嫉妬」して怒ります。つまり、豊かさの流入を「怒って許せない」から、自分に豊かさが流入するのを全力で阻止している訳です。

嫉妬しないで、素直に愛でる、喜ぶ、それが「豊かさの流入を許す」と言う事なのです。

そして、「自分の無価値感」を改めて、「自分は豊かさを受け取るに値する有価値存在」なのだと認識する。

第七章 「収入源を限定しない」

「収入イコール労働苦役」と言う等式を改める。不労所得や臨時収入、棚ぼたやラッキーを全て「許容し受け入れ」収入を労働収入だけに限定しない。

第八章 「自分とは豊かさである」

結局、自分とは豊かさなのだと悟る。つまり、自分とは豊かさなのだから、敢えて貧しさに甘んじている必要がない。自分と言う豊かさが、肉体身体を通して、豊かさを体現し満喫して愉しめばそれで良いのです。





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