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プーチンの死生観

プーチンは戦死した母親と面会した時、こう言った。「交通事故だって年に3万人は死ぬ。人間は何れ死ぬ運命にある。大切なのはどう生きるかだ。」

戦場に行き親より先に死ぬのは、親不孝な息子なのだろうか?それとも名誉の戦死?

確かに皆んな皆んな死んで行きました。フセイン大統領もカダフィ大佐も、アラファト議長もプリゴジンも皆んな皆んな死んで行きました。

そうかと思うと、帰省中の19歳の大学生が69歳の爺さんにひき逃げされて死亡し、少子高齢化に拍車を掛けています。

「若者死に易く、老兵は死なず。」

方や、産まれて10カ月の赤ん坊が、2時間半暑い車内に取り残され、熱中症で短い生涯を終えました。

「生きてるだけで丸儲け」と言うけど、じゃあ死んだら丸損なんですか?

人間は、生きてる側の視点でしか物事を見ようとしません。だから「先に死んだ奴の負けじゃ」と考えてしまいます。

どうせ全員あの世に逝くのです。そこに優劣は存在しません。

長生きしたら勝ちで、早死したら負け。人は変な勝ち負けの判断を導入しました。

霊魂として、十万年以上生きたら合格で、十万年以下なら不合格、かつてそんな合否の判定も宇宙には有りました。

ともあれ、この世の生を終了すると言う事は、あの世に新しい生をスタートするお目出度い「祝福に満ちた門出」だから、陰気なお通夜は似合いません。

人間は、「死」を生きてる側の視点でしか見ないから、「死なれて悲しい」「会えなくなって寂しい」とネガティブ感情に傾きがちです。

例えばプリゴジンの死やプーチンの言動に、感情を昂(たか)ぶらせる人は少なく有りません。

プーチン憎しとか、プーチン大嫌い、その感情こそが、人類を数千年間眠らせて来た原動力なのです。この「誰かを否定したい感情」こそが、低次元無限ループの正体なのです。

つまりプーチンに対してニュートラルな感情を保てるのか保てないのか、これが魂の試金石なのです。

三国志なんか観ても、まあ人類歴史は戦争に明け暮れて、皆んな死んで行くのです。

世界情勢とは、エキストラを主役と勘違いさせるゲームです。プーチンもゼレンスキーも何れ死ぬ。二人が死んでくれたら世の中平和になるのか?そんな訳ない。

ドルが紙くずに成ったら、ドル資産を大量に保有している日本は大損します。こんな風に各国の国力を低下させるのが、世の流れです。

プーチンは誰と闘っているのか?トランプは誰と闘っているのか?視えない巨大な力と戦っています。

プーチンの哀しみとは、自分がロシア人に生まれた事です。彼はゴルバチョフやエリツィンが売り渡したロシアを買い戻したいだけなのです。

プリゴジンの肉体は死んでも、彼の怨念は生き続ける。それが分からないから、人は死んだら御仕舞と思う。

かつての日本だったら、「鎮魂とか祟り」を考えます。

それを考えない国は土に埋めて胡麻化す。それはその土地の怨念として蓄積され、大陸を水没させます。

ウクライナ人が死んで、ウクライナは国家として痩せ細ったが、大統領はウクライナには住まないから関係ない。他人事だ。

人間は肉体と言う衣服を脱いだら、皆んなあの世に逝く。その時にプーチンにはロシア正教があり、習近平には風水があり、日本人には無宗教がある。

国家無きグローバリストたちは、世界各国を潰して行く快感に酔いしれる。

ロシア革命を起こしたのはロシア人じゃ無い。それがプーチンの怒りと哀しみなのです。

プーチンもイスラエルのレビも生き永らえたなら、聖地巡礼の安らかな余生を送れます。

当面、大国潰しの圧は強まりこそすれ、手を緩めることは無さそうです。

徐福の夢、それは不老不死の妙薬。富士山に登れば、不死を悟れますか?

肉体は死んでも、意識は死なない。それは無神論者には理解らない。

肉体が死んでも愛は死なない。愛の無い人にそれは分からない。

交通事故や熱中症で命を落としたくは無いし、祝砲の流れ弾で死ぬのも嫌だ。川遊びで死ぬのも、フライフィッシュで死ぬのも御免被る。

自分の不死を悟ったなら、いつ死んでもオーケー。






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