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着脱可能な自分

自分とは何かと改めて問い直してみると、色んな考え方が出来るだろう。

或る人は「自分とは、精神と肉体の結合体である。」と言い、また或る人は「自分は単に肉体でしかない」と言い張るだろう。

また別の或る人は、「自分とは潜在意識と顕在意識から成る」と考えるかもしれない。

要するに、人間は自分をどう定義していいか未だに解らないのである。

だから、自分とは「意識」である、自分とは「霊魂とその憑依体」であると訳の分からない事を言い出す人も出てくる。世界観や人間観、人生観や神観をトータルに装備して人生を営んでいる人はまれである。

人間とは、意識もしくは霊魂を肉体に着床させ幽閉した存在で、誕生の際に全ての記憶を消去する。そして個々人に前世の記憶が無い分、歴史とか古生物学といった半ばフィクションに近い学説で記憶喪失を補強するから作り話に近い人生足らざるを得ない。

だったら一層(いっそ)のこと、過去・現在・未来を全て喪失したことにして、新たに一からゼロから全て創作して歴史も古生物学も基本無視して、自分に都合のいい過去、自分にとって虫のいい話だけをチョイスして、自身に望ましい未来だけを採用したら良い。

言い換えれば、自分とは自身による創作作品なのである。人間はとかく事実や歴史や現実世界といった作り話を基準に生きてしまいがちである。だが事実とは幻想であり、現実とは空想であり、歴史とは単に捏造である。つまり、それら全てを超越して生きていいのだ気付く事を悟りと言う。気づけない人は、何万年でも何億光年でも迷妄者としてこの世やあの世を彷徨い続ける。気付いた人から順次イチ抜けたと解脱していく。要するに、これは人生双六ならぬ「霊魂双六」なのである。悟った人から順次、人類を卒業して宇宙人類になっていく。人類を卒業したくない、私はあと数万年は留年し続けたいと思えば、そうしたらいい。急ぐ必要も無いし、焦る必要も無い。時間経過なんてのも幻想だからね。無いと思えば無い。

そう言う訳で、今は三次元人の現実重視、事実偏重をメインに生きているが、気付き悟った五次元人は現実や事実や歴史や記憶にさしたる意味を与えない、それ故に前世のトラウマなんか簡単にポイ捨て出来てしまう。自分に都合のいい過去をチョイスして、これを私の過去にしますと採用し、自身に装着するのである。

自分とは、自身が自由に分解したり、組み立てたりして良い、創作作品だったのである。要らない過去を引きずって、それを来世に持ち越したりする必要性は全く無いのである。


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