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信じる者は騙される

外国産のわかめを国産わかめと表示して店頭に並べる。それを「産地偽装」と言うが、こうした事態に「怒りや腹立ち」で条件反射的に反応してしまうのが、一般国民とか三次元人類の常識的な対応であろう。

人は何故騙(だま)されるのかと言うと「食品表示」や食品表示法を容易く「信じてしまう」お人好し人間だからに他ならない。

他人の言を信用しない「疑り深さ」こそが、この際最も有効な解決策なのかもしれない。国を信じたら裏切られました、儲け話に一口乗ったら大損漕きました、そうした被害を被らない為には「転生を繰り返し十分過ぎる人生経験」を積んでいくしか手は無さそうだ。

自分の食を「他人任せ」にする「分業社会」に生息するから、こうしたトラブルに遭遇するのである。

自分の食べるわかめを自給自足的に自分で採っていれば、それは「国産わかめ」に間違い無いのである。そこに他人を「介在」させるから「騙されて」鴨ネギになってしまう。

日本の食料自給率は著しく低い。国家を当てにしてたらそうなる。自分の食料ぐらい自分でなんとかしませんか?そうすれば、国家が滅亡したって何にも困らない。此れから順次幾つかの国家は滅亡してしまうだろうし、そこに棲む国民は悲嘆や怒りと言った「条件反射的感情」を繰り返すだろうが、そのような条件反射ではさしたる利益は得られない。そんな暇が有ったら薩摩芋の一つでも作り始めましょう。嘆きや怒りはこの際単なる時間の無駄です。悲しいかな感情に左右され易い民族や国民っていますよね。不幸にして「精神修養」が積めてない訳です。

「銃社会」だと銃で解決しようとしますね。銃は解決策にはなりません。此処で民族気質が問われて来ます。ひょっとしたら人間人類には荷が重いのかもしれない。

国家が駄目なら村が有る。米国でも或る伝統宗教は小さなコミュニティを形成して、半ば自給自足的に成り立っている地域があります。

日本も此れからそうした自給自足的コミュニティが形成されて行くのかもしれません。

人間は「信じたら負けと言うゲーム」に否応なしに参加させられている。そして次は「食糧難ゲーム」に「豚インフルと鳥インフルのダブルパンチ」がスタンバイしている。盆と正月が一遍に来たと言う人と、「浅間山と富士山の同時噴火」に腰を抜かす人とが、それぞれ悲喜こもごもの人生経験を積まされる事だろう。

かくして分業社会と言う過去の遺物が人類歴史の経年劣化に耐え切れなくなって来た。資本主義も共産主義も過去のお荷物なのに、亡霊となって未だに出没し続ける。

観たところ宗教もイデオロギーも科学も人類を救えそうに無い。にもかかわらず、人類はそれらにすがって滅びの坂を転げ落ちて行こうとしている。
サルが人になり、人が神になる、そうした霊的な進化と言うのは、生物の進化と必ずしも連動しない。生物は単に進化と退化を意味なく繰り返している。そうした中で、本当は「意識の進化」のみが重要で後は全てどうでもいいのである。

宗教やイデオロギーを信じるから騙される。他人や国家を信じるから裏切られる。信じられるのは自分の内なる声だけなのである。エゴと言う名の偽りの自分に騙される事無く、本当の自分だけを信じて生きればそれで万事上手く行くのである。



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