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夢を叶えない方法、「ネガティブは変異する」

第一章 「そもそもネガティブって何?」

自分の中にあるネガティブに人はなかなか気づかない。何故だろうか?それはネガティブが「変異し多様化していった」からです。

彼は「光の戦士」です。日夜闇と闘っています。でも「闘う」って実はネガティブなんですけど。闘うとは敵を否定する行為なんです。

私は目覚めたが、眠りを選んだ彼らを軽蔑しています。「軽蔑」とか「嘲笑」とか「見下し」も勿論ネガティブなのです。目覚めたと言いつつ眠りを選んだ訳です。

こうして人は何がネガティブなのか分からなくなってしまった。

私はポジティブを選んだんでしょうか?自信がありません。自信の無さも実は少しネガティブですね。

ネガティブとは何ですか?ネガティブとは「否定」です。ポジティブとは「肯定」です。意識もしくは霊魂は、他者や世界や自分を必ず肯定もしくは否定します。そして否定は変異していった結果、多様化して分かり難くなった。

相手を全否定する、軽侮する、見下す、あざ笑う、馬鹿にする、或いは自分を嫌う、罪悪感を抱く、自分を過小評価する、これら全てはネガティブです。また自分を正義と思い込む故に、敵を悪とみなす事になり懲らしめたくなる。だが懲らしめるってネガティブですよ。

自分の心がイライラする、落ち着かない、緊張する、不安になる、怖くなる、これも全てネガティブです。

第ニ章 「ネガティブの見つけ方」

では一体どうすればネガティブを見つけられますか?対立概念を考えて見れば良い。

イライラするの反対は「落ち着く」ですね。で、イライラと落ち着きどっちがポジティブか考えたら落ち着く方がポジティブなんだと分かります。

不安の反対は「安心」だから、ポジティブとは安心なんだと分かる。

怖いの反対は安心とか安堵、安らぎだから、ポジティブとは安心を選べばいいのだと分かります。ところが困った事に人間にとって安心も外からやって来る。自分の中に根付いて無いのです。これでは安心は、まれな出来事になりおぼつかない。

こうしてみると、人間界が如何に多種多様なネガティブで構成されているか解りますね。だから人生は基本不幸で不運なものになってしまうんです。

人間は健康な人が少なく、病気の人が多い。そして病状に新たな病名をつけていくから病名は次から次と無限に増え続ける。これでは、健康からどんどん遠ざかるばかりです。

第三章 「苦あれば楽あり」

人生は、苦と楽が交互にやって来ます。一方、地獄は苦ばかり経験します。
それで、高次元存在は結局天国に暮らす道を選択しました。つまり、「善と悪」と言う対立概念のうち「善のみを選択していくから」善果しか体験しない訳です。なーんだ、簡単な話じゃないか。でも、人間は善と悪を交互に選択したり、悪ばかり選んだりして、善だけを選択して生きることがなかなか出来ないのです。だから、苦あれば楽ありの人生になり、「楽有って苦無し」の人生に成りません。ここで、天国組と地獄組に分かれて行く訳です。或いはその中間で、苦あれば楽あり的人生を演じ続けます。

第四章 「ポジティブオンリー」

善のみを選び続ける、ポジティブだけをチョイスして生きる、それが高次元のライフスタイル、天国的な至福世界と言うことになります。人間界はともすればネガティブスパイラルに陥りがちです。自分の抱いた夢を一つ一つ「現実的じゃない」「不可能だ」と否定して回るので夢は現実化されません。

善が有って、悪が有る。どっちをオーダーするかは、各人の自由です。或る人は「私は悲劇と悲惨をオーダーしました。」と胸を張る。人間は悲劇や悲惨に意識を向けたがる癖がある。

喜びを得たい、創造を愉しみたい、天国で暮らしたい、宇宙に愛されたい、そう言う人は高次元存在になるしか有りません。

人は、自分と言う名の意識体もしくは宇宙船の操縦士です。この宇宙船はハンドルで操縦するのでは無く、自分の意識で上下左右にアクセルとブレーキで飛翔しています。それで、生き地獄の住人はブレーキペダルを多用し、天国の住人はアクセル全開で高速で運転してそのスピード感を愉しみます。人間はアクセルとブレーキを交互に踏むのでスピードが出ません。だからさして愉しく無い。

さて、貴方はどんな人生にしたいですか?ミサイルの標的になりたい、それとも夢を次々に叶えて創造を満喫したいですか?

自分の人生は自分で創りましょう。他人に創って貰った人生ってどこか既製品ぽくて心底喜べません。だから、自分のオリジナルなパーソナルな人生を各自一つずつ与えられている訳です。

さあ貴方も自分のオリジナルな人生を満喫して、創造の最前線で最先端を謳歌しましょう。



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