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努力は何故要らないのか?

第一章 「要らない物は断捨離して行きましょう」

断捨離がブームになったりするが、これは必需品でしょと言うものも、実は無くても生きていけます。肉体は三次元人には必要だが、死んだら必要じゃない。肉体が要らないなら、物質を口に入れる食事も必要で無くなる。またある宗教の信者にとって、救い主は必要不可欠だが、別の宗教だと救い主は別に必要無い。そう考えていくと、大統領も知事も本当は要らないのかもしれません。人々は惰性で投票しているだけなのです。

「うちの亭主は粗大ゴミ!なので亭主を断捨離したいです。」それはキツ過ぎます。また、ある人はマイホームを欲しがりません。キャンピングカーで暮らすそうです。でもキャンピングカーは水陸両用じゃないので、私は要りません。そうなると、欲しいのはやはり宇宙船かな。宇宙船で独り暮らしを始めたいかも。

第二章 「私有と言う概念の崩壊」

これから私有とか所有と言った概念も崩壊していく可能性が有ります。私有財産とは、意識がその物や土地にしがみつくこと即ち「執着」なのです。執着とは心の重さです。

第三章 「努力は要りません」

「奮闘努力の甲斐も無く」と言ったりします。奮闘努力しては疲労困憊し、束の間の達成感と喜びを得る、そしてまた疲れ果てて、恐れを懐き、再度勇気を振り絞ってまたひと頑張りする、そして疲弊感からまた恐れを抱く、まだ頑張らないとと奮起しヘトヘトになってついには病気になる、この悪循環がループしてしまいます。

第四章 「労多く益少なし」

現状の人間界は「労多く益少なき」社会です。奴隷や兵士や下級武士は当然禄(ろく)も少ない。その分を王や支配者が手にするからです。

長い間人間は、「苦は楽の種」と教えられ、それを鵜呑みにして「信じ込んで」生きて来た。成功を手に入れるには、大変な苦労と努力が必要不可欠と思い込んで来た。人間は自分の「望まない事柄や状況」を「嫌々或いは我慢して」やってしまうので、時間の経過を遅く感じて、その分老化を促進させてしまう。自分が本当に遣りたい事なら、其れを苦労や努力とは感じません。

大変な努力の末に幸せを手に出来る。自分と言う無価値な存在は、努力とか苦労によって初めて幸せや成功を手に出来るに値する存在たり得る。それは一種の「強力なネガティブ信念」と言えます。このネガティブ信念をポジティブ信念と置き換えて行く人もいれば、死ぬまでこのネガティブ信念を手放せない人もいます。

第五章 「労少なく益多き世界へ」

「笑う門には福来たる」、つまり笑いが笑い得る状況を引き寄せます。だから笑いが先で、状況が後とも言えます。

人間社会では喜怒哀楽の多様な感情を体験します。ドラマとプロセス、即ち悲しみや怒りの感情を人々は体感するが、それらの感情の本質が「自分の望まない現実」がもたらすことにあるとは気づけません。

「自分は無価値である」と頑なに「信じ込み」、無価値のゆえに大変な努力の果てに幸せにたどり着ける。つまり、ご褒美を得るには、労働苦役が必要不可欠なのです。でも大変な努力の割に僅かの利益や恩恵しか得られません。奮闘努力してもハイヤーセルフと繋がって無いから、望むものは手に出来ません。もしもハイヤーセルフと繋がったなら、最小限の行動で最大限の効果が期待でき、インスピレーションも冴え渡ります。

人類はこれまで、苦労と困難を強いられる道と安楽な道、この二つの道を前にして、困難と苦労の道をやり甲斐があるとか言って選んで来た。

労多く益少なき社会は、古い信念体系に基づく「空回り人生」と言えます。それ故に「働けど我が暮らし楽にならず、じっと手を見る」、辛く苦しい涙の人生に成ります。だから「苦しき事のみ多かりき人生」なのです。

そこで信念体系を新しくします。ハイヤーセルフと繋がることで、「奮闘努力の空回り」を止めて、「労少なく益多き人生」へとパラダイムシフトして行きます。すると喜びとワクワクの「楽しき事のみ多かりき人生」即ち「シンクロとインスピレーション」が頻発する歓喜に満ちた人生になって行きます。

人類は、永らく奴隷か兵士か農民だった。だから苦労と苦役、奮闘努力が求められて来た。それは自分の「無価値感、無能感、無力感」が支えていた。
詰まり、自分が無力で無能と「信じる」から「努力が必須になる。」逆に言うと、自分には元来「価値が有る」と「信じる」なら、「努力」は必要で無くなります。

最終章 「宇宙と繋がる」

旧約聖書に楽園追放のエピソードが語られています。その真相はと言うと、神様の命令に背いたから楽園を追放されたのでは無くて、人間が自らのハイヤーセルフとの繋がりを断ち切って、三次元世界で迷子になってますよと言うお話なのです。ハイヤーセルフと言う「全能性」との繋がりを断ち切ったら、孤軍奮闘しても成果は期待出来ません。例えて言うと、自分と言うスマホがネットに「接続されて無かった。」だから努力しても空回りしていた。

ネットに接続する、つまり「宇宙と繋がる」には、恐れを手放し、喜びとワクワクの毎日にする、不安を手放し安心を常態化させる、言い換えると「怒りや哀しみからの卒業」です。








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