人生はテーマパークなのだ
何時もの散歩コースを談笑しながら散歩していたら、刃物を持った男に追い掛けられて、逃げたんだけど足が遅いから追い付かれて、刺されて死にました。世の中そう言う事も偶に有ります。
この世は、被害者に成る為には、必ず加害者を必要とします。被害者と加害者が出遭うには「因と縁と」が必要不可欠です。
何の罪もない人間がどうしてこんな目に遭わねばならないのですか?
「何の罪もない」とどうして分かるの?
前世も前々世も人殺しだったのかもしれないでしょ?
と言うか、「殺す者は殺され、苛める者は苛められる」、そう言う「エネルギーバランス」を「因果応報」とか「自業自得」と言うのです。
その昔、首狩り族も戦国武将も首を狩っては祝盃を上げていました。サッカーだってその起源は、首を蹴飛ばして遊んだとか言う話です。
人類の進化や進歩は、一直線では無くて、進化と退化を繰り返しながら、全体として前進出来れば良しなのです。
何度か核戦争して、人類滅亡を繰り返したら、この次こそは上手くやろうと思う訳です。
ハワイが山火事で燃えても、都市再開発の意欲や資金が有れば、リニューアルされます。
日本でもバブル期に建てた建築物が、未だ撤去もされず放置されています。
撤去費用やリニューアル費用が無いのです。
今世界中に高層ビルやタワマンを建設しまくったけど、建てた物は必ず老朽化してゴーストタウン化するのです。国のあちこちに「EV車の墓場」や作り掛けのリゾートタウンが散在し、世の終わりを待ち侘びているのです。
ドルが紙くず化したから、BRICKSの時代が来る、そんな表面的発言をする人もいます。
全体が見えて無いんです。
世界120ヵ国で、逃げ出したい監獄みたいな国家と、逃げ込みたい無法地帯化した国家とが有ります。
大麻オーケー、売春オーケー、カジノもオーケー、それは国家経営として如何なものか?
監視国家を歓迎する人も居ます。犯罪の抑止になると信じているからです。
宇宙人に拉致されたり、北朝鮮に拉致されたり、油断してたら拐われます。
隣国が空爆好きだと、しょっちゅう空爆されてのんびり出来ません。
「国家のテーマパーク化」とか「夢の国化」或いは「国土全体の聖地化」は、高次元社会の目指す方向足り得ます。
ただ観光客だらけの京都は行きたく無い。入国制限は、絶対に必要です。
と言うか、満員電車は厭だな。
話変わって、自分がスパイだったり、暴力団員だったなら、頭を銃で撃たれても、まあしゃあ無いかと諦めもつくが、アルバイトの女子高生の頭部を撃って殺すなんて!やはりそうなった原因は、前世に求めるしか無さそうです。
例えば、殺される原因を今世だけに求めるとして、自分の頭部を持ち去られる理由は果たして有るのか?
人間は、閃きと衝動が瞬時に生じては消えて行きます。「殺意」を一瞬いだいても、普通は直ぐに忘れます。
つまり「殺意」が「行動」へと向かうには、より強い動機が必要です。
例えば、小学生の時に虐めに遭ったとします。それが長い間に熟成されて、何年か経って爆発する。
銃社会の米国では、銃を手にして、自分の通っていた小学校に乗り込み、銃を乱射する事件も有りました。つまり虐められた事の「復讐」を果たしてから、警官に射殺された訳です。
詰まりは「エネルギーバランス」を採ったのです。人をイジメたり、陰口を言っていたら、それは「自分を被害者予備軍」の遠因にするのです。
だから「他国批判」を繰り返している国は、何れ滅び去るのです。
つまり今現在、他国にいちゃもんつけている国家は何処なのか?
世界は、食料不足や米の不作を演出したがっています。金の有る国が世界中の食料を買い漁ると、貧乏国は飢え死にしてしまいます。
紛争国に武器を供与した国も、マッチポンプ国家だから、何れ国民は代償を払わされます。
平和を望んでたら武器は供与しません。
自国を戦場にしたがる各国首脳たちは、本当困ったちゃんなのです。
まさか自国を「戦場のテーマパーク」にしたいってか?
軍産複合体の頑張りと、薬中による国民ゾンビ化計画、その綱引きの結果、国家と国民はどっちに転ぶのでしょうか?
こういう世界情勢にどっぷり浸かって、赤勝て白勝て、トランプかバイデンか、プーチンかゼレンスキーか、どっちかを応援してたら、貴方は永久に天には住めません。
「選ばれし民」は、いつしか気づいたら、「呪われし民」に変質して行きます。
イデオロギーや宗教やテクノロジーが、人類を滅亡へと誘います。
「汝自身を知れ」、そんな事言われても、人類には無理じゃね?
「人生はテーマパークなのだ」、お化け屋敷だったり、監視国家だったり、生き地獄だったり、晴れ時々空爆だったり、息抜きに暴動と略奪は不可欠だったりします。
冠水とか雹が降るのは、異常気象じゃ無くて、日常茶飯事の朝飯前で、いちいちパニクる必要も無い。車よりゴムボートの時代か?
出来るだけ殺意を抱かれ無いように生きて行く。顔自体が殺意を懐かせる顔の人もいます。
自分の人生を「テーマパーク化」させる。つまり「自分で面白くしていく。」
それは批評家や評論家じゃ無い。ケチつける癖をつけると、人生は詰まらなくなる。
テーマパークや映画って自分が外に出向いて愉しみます。そうでは無くて、今ここの自分の人生をエンタメ化する。
マリンスポーツを愉しみにバリに行ったら、フライフィッシュから落ちて死亡、楽しめたとも言えないか?色々有るんだなあ。