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大都会はなぜ不自然なのか?

都市ガスなんて大地震なんか有った日には一溜まりもない。東京で何時だったか都市ガスがストップしてしまった事がある。

タワマンのウンコ禁止も記憶に新しい。都会の住人は大都市の致命的根本欠陥に無頓着すぎる。線状降水帯が東京を襲ったりしたら、東東京は水没してしまう。

それに直下型地震でも起きたら、医療崩壊するは食糧難になるはで、都会暮らしは相当リスキーと言えるでしょう。

大体一度(ひとたび)戦争でも起きれば、首都は真っ先にミサイルの標的になる。

田舎には「何も無い」とよく言われる。確かに娯楽施設が少ない。欲望渦巻く大都会と言ったりする。若者は大都会に憧れるもんだし。

昔「天国良い所一度はおいで」と言う歌が流行った。天国の姉ちゃんは綺麗だと言うのである。かと思うと、体重100kgオーバーなのに、未だに暴飲暴食を生き甲斐としている人もいる。

要は、人間は大都会で何がしたかったのだろうか?性欲や食欲を満たしたかったのだろうか?コンサートや野球場に行きたかったのだろうか?

画家は絵が描きたくてパリに行ったりした。芸術の都だからね。

それで画家でも無く、音楽家でも無く、ただ夢想しているだけの半ボケ老人は都会生活を送る必然性を感じなくなっていった。

大都会の老朽化に限界を感じてしまった。そう何千万人かが犇(ひし)めき合って一処に暮らすのは確かに不自然だし異常なのである。2500万人が暮らす上海で今人々は、幸せに暮らせてますか?

人の多さは結局不幸しか齎(もたら)さない。と言って田舎だと蚊に刺されるし、畑を耕す気力も無いし。

まあコンクリートジャングルに飽きたから、リアルジャングルが新鮮で愉しいのは確かだ。そうコンクリートに飽きたのである。バベルの塔じゃ有るまいし、未だ高さを競っている人間の愚かさに愛想が尽きたのかもしれない。

ぽつんと一軒家と言うテレビ番組がある。山奥の一軒家に住んでみる。スーパーまで車で一時間かかる。生活には不便かもしれない。また釣りが好きで海辺に引越したとしても、そのうち飽きて遣らなくなる。

自分が本当に心底やりたいことって中々見つかりません。兎に角手当り次第あれこれやってみる試してみるしかない。

大体東京だって江戸時代は100万人、今の10分の1でガラガラだったし、武蔵野と言って野っぱらだった。

ソーシャルディスタンスじゃないが、人間は疎(まば)らであることで正常たりうる。孤独と孤高を愛せるようになっつ初めて一人前なのだろう。


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