バシャールとエイブラハム 3 「現実は変えられる?」
第一章 「他業他得論から自業自得論へ」
人間は現在何十億人もの人が何らかの宗教を信じ込まされ、或るいはイデオロギーに洗脳されて、悟ることも無くその短い一生を無駄に終えていく。
神を創造主と崇めることで、自分たち人間は「被造物であって決して創造主には成り得えません」と神に誓うのである。
神と言う自分ならざる他者によって創られた世界や他人は、当然あなたにとって違和感だったり異物だったりするから、他人や世界に振り回される「無力で無能な私」は、劣等感やコンプレックス、罪悪感や罪意識、妬みや嫉妬の温床足らざるを得ない。
あいつの性でこんな苦労をさせられている。或いは「アイツが心底羨ましい」、「恨めしや、恨み晴らさでおくものか」と、劣情に身を任せて今夜も貴方は自棄酒(やけざけ)を呑む。
アイツのせいでは無くて、全ては自分の性である。それに気づくのに数億年の歳月が流れて行く。それでもいんじゃない?人生とは道草であり、廻り道に他ならない。
この世すなわち人間界は、一般的に「他業他得論」が支配的であり、本当に自業自得論を信奉する人は全くの小数派である。
他業を自得してもしょうがないのに人はそうした可笑しな事をしがちである。他人任せ社会、他人への誹謗中傷、人の振り見て我が振り直せ、他人とは自分であると気づいて、異物でしか無かった他人が違和感無しに受け入れられる自分に成れればいいのである。それって他人軸かも?利他主義も他人依存の一種かもしれません。
第ニ章 「現実は変えられる」
「現実を変えようとするな」とか「運命は変えられる」とか「ユアマイデスティニー」とか、人は色んなことを言ってます。変えられるんですか、変えられないんですか?どっちかはっきりして下さい。
現実とは、鏡に写った自身のしかめっ面だから、これを笑顔に変えるには、あなたが笑顔になればいいんです。
人間は、鏡に向かって怒ったり嘆いたり落胆したりしがちです。
つまり、他人とか世間とか社会についついケチをつけたり駄目出ししたくなる。
鏡に駄目出ししてもしょうが無い。堕落天使がいて堕落人間がいる。創造主は堕落したら被造物になった。だから本来の在るべき姿とは創造主への復帰なのです。
人間とは、自分で生き地獄を創造し、苦しい苦しいとのたうち回る「倒錯的生き物」なのです。また戦争とパンデミックですか?切りが無いね。
そう「全ては自分のせい」なんです。まさに自業自得です。金欠病を引き寄せたのは他ならね自分自身です。
だとしたら、金欠病を引き寄せない為に為すべきことは、自身の中の金欠感を手放せばいいんです。自分は台風の目だから中心気圧が低い程、引き寄せの勢力は強くなる。エイブラハムはこれを「ボルテックスに入れ」と表現する。
つまり、自分自身を「豊かさの中心気圧」にすればいい訳です。
逆に言うと、貧乏な人や金に困っている人は、自身の内に必ず「貧困感」を握りしめている。これは子供の頃、両親や周囲から洗脳的に植え付けられていった。
自分の心の中に「豊かさ」をただイメージするだけでいい。つまり、元手はただです。ただ今まで金欠感をずっと抱き続けて生きて来たから、修正に一工夫いるかもしれません。
昨日までイライラ、ハラハラして生きて来た人にいきなり「ワクワクしましょう」と言われても、多分「偽のワクワク」しか出来ません。人間はこれまでワクワクの正反対、その対極にある人生を生きて来た。
それでワクワクの正反対に当たるのが、心配・恐れ・不安なのです。これらを何とかしないとワクワクには成れません。
心配症の人はワクワクし難い。だから心配を手放す。つまり、安心感を抱けばいい訳です。一つ一つ手順を踏まないと駄目なんです。地道に行きます。