見出し画像

鏡と自分、マインドの向け方

第一章 「他人軸を止める」

人間界と言うか地上界はヒーローやスターを必要としてきた。政治にはリーダーが、芸能界にはゴシップが不可欠であった。

それで国民とか庶民はヒーローでもスターでも無い事が求められる。

こうしたやり方では、庶民は永遠に幸せには成れません。

何故か?自分にフォーカスせず、ヒーローやスターや芸能人と言った他人にスポットライトを当てる人生だからです。

他人が金メダルを何個獲ろうが実はあなたには関係がない。関係無いことにミラーニューロンを使って感情移入し、恰も自分の頑張りや悦びと錯覚させて「偽りの満足感」を得ているに過ぎません。

自分の幸せを自分が得てはいけない。これが此の世の一般常識になっている。自分の幸せを愉しみ悦ぶには、他人の栄光に必要以上に感情移入しないクールな自分でいる必要がある。逆に言うと、世間はメディアに煽られる「自分無きあなた」で居続けることを暗に要求している。

自分の幸せくらい自分で見つけなさいよ、そう言われると野球も将棋もできない無力な自分が嫌になってくる。勉強もできないし何の取り柄もない自分から「目を逸らすために」あなたは他人と言うスターやヒーローを欲したのである。

自分の人生を自分の手に取り戻す、自分の人生を自分が幸せにしてあげるには、どうすればいいのですか?

答えは簡単です。自分に専念すればいいんです。スターや芸能人やヒーローを必要としない自分、自分を自己否定するのを止めていく生き方、つまりは他人軸で有り続ける人間界からの卒業です。

人間界から卒業するとはどう言う事か?それは上に行くか下に行くかのどちらかしかない。つまり天に住むか、それとも魔界に堕ちて苦しむか、二つに一つを選び取るのである。

そして地上を徘徊する人間だった自分から、天を自由に飛翔する生命体になっていく。地位や名誉を悦ぶ人たちや食欲や味覚に耽り病人になりたい人たちはこの際置いて行きましょう。

第二章 「何がネガティブなのかを知る」

人間イコールネガティブと言えるくらい人間はネガティブの塊です。いやネガティブで無いと人間なんかやってない。

それでポジティブに生きろと言われても意味が解りません。会社を辞めて、出家しても「解脱」にたどり着く確率は極めて低い。

自分の人生を幸せにする、それは成功法則をマスターして成功者になることとも違う。無名でいることの自由さはプライスレスです。フォーブスで大金持ちトップ100が発表されるが、それは即ち守銭奴トップ100、金の亡者トップ100なのである。それは幸せでも何でも無い。天国に行ける訳でも無い。

第三章 「自分が創造主だと気づく」

さて、自分のマインドが実は自分の世界、自分の宇宙の創造主なんです。あなたが自身の人生を不幸にし不運にしている張本人なのです。ダメ男と恋に落ち、結婚してから後悔の夫婦生活がスタートします。

人間はネガティブマインドしか持てないから、人生は不幸になっている。ではネガティブって何?ネガティブとは否定です。自分のマインドが否定したがる「否定のほこ先」は大きく三つしかない。自分か他人か世界かの何れかである。他人にケチをつけたい、ディスりたい、駄目出ししたい、他人を見下すことで自分が優越感を得たい、他人を論破して快感を得たい、これら全てに実は「ネガティブが内包されている」。人間が自分のネガティブを除去し根絶できないのはその故である。

自己否定感とか自己肯定感といったりする。だが自己と自分とエゴと我欲、どの自分が本当の自分か分からない。

利他主義は一見すると美徳なのに、其処に自己犠牲を強いるエゴが潜んでいる。

目は「心の窓」と言ったりする。その人の眼を覗き込むと、宇宙の深淵に迷い込み帰って来れなくなるかもしれない。瞳の奥に広大な宇宙空間が拡がっていて、其処はあたかもバミューダトライアングルなのです。

自分の眼(まなこ)から外界を覗き見したら、其処には「世界」や「他人」が映っている。だからアナタは自然と「世界情勢依存症」や「他人依存症」になって自分を見失う。だって其処に自身の姿が映ってないからです。

では外界と自分の間に「鏡」を置くとどうなりますか?「外界」が見えなくなって、その代わりに「自分自身」が映ります。外界とは実は自分自身だった訳です。

外界が自分自身の内面を映し出す「鏡」であり、「鏡」に写るのは自分自身であるとしたら、世界や他人は一体何処に存在したのだろうか?そう、何処にも存在してはいない。

鏡は何に使うのか?光を反射する為?光を透過させない為です。目の前に立ちはだかる巨大な壁は、実はプロジェクションマッピングであってそこに実体は有りません。

自分が自分の存在に気づくには「鏡」が必要なんです。鏡が無いと外界や他人ばかり見て、「自分」を見る事無く一生が終わってしまう。

蝦蟇蛙(がまがえる)は、鏡に写った自分の姿にタラーリと脂汗を垂らしてガマの油が出来上がると言う。

ウイルスは自分の姿をメッセンジャーRNAに転写させる。反転オーケー?

鏡に映った自分は、自分の身体であって自分自身では有りません。転写先は何処ですか?反転先は移転先ですか?
胃カメラに写るのは胃ですか、それともバリウムですか?

周波数が高いと反射しないで通過できる。反転って反射なんですか?姿を映し出すのは結局周波数に他ならない。「壁」とか「鏡」って結局何なの?反射と透過の境い目に実は秘密がある。

第四章 「外界もしくは現実」

外界もしくは現実はイリュージョンなのです。だからそれらを認識しなくても困らない。いや、認識してしまうから人間界の人生は無茶苦茶になっている。人間やそれを代表するマスメディアはネガティブにしか目を向けようとしない。戦争が起きたら戦争しか報道しなくなる。気温が上昇してきたら熱中症の話しかしなくなる。

人間の精神構造がそうなってしまった。これがアセンションを困難にした原因です。問題が起きたら問題にしか目を向けなくなるんです。

そうでは無くて、問題では無く、問題解決の方に目を向けるのが高次元人と言う事になります。現状では人類は高次元化はかなり難しいかもしれない。
人類イコールネガティブになってしまっているからです。

だって何がネガティブか学校で教えてくれません。大人たちも社会も全体がネガティブ化して、結果マスメディアイコールネガティブになっている。

ポジティブは各自が個人個人見つけ出し会得していく秘技なのです。引き寄せの法則を体得したごく少数の人たちだけが順次幸せを手にして、人類の大半大多数は不幸と悲惨の中で死んでいくしかなさそうです。だってメディアが不幸の大元(おおもと)だからたちが悪い。幸せに成りたければ、メディアを棄てるしかない。まあ人間人類にそれは無理なのでしょう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?