竈(かまど)の神様はいますか?
昔は各家庭に土間がありカマドが有った。だから当然竈(かまど)の神様も居た。トイレの神様や竈の神様を廃業に追い込んだのは近現代の無神論ブームであり、科学信仰に比例して神々に対する不敬の念が増大した為である。
無神論とは単に神々をディスりたいだけであった。神様なんて居ない、そう言い放つことで神様をディスっている。
世の中は本当は神様で一杯なんです。トイレにはトイレの神様がいて、かまどには竈の神様がいる。神様だらけの世の中で神様なんて居ないとその存在から目を背けて、この数千年人間は低級霊として生きて来た。
アニミズムから卒業するのが科学と言う迷信の登竜門であった。幽霊や妖怪や天女や妖精がお友達である精神の持ち主は精神病院の患者にされがちだが、本当は彼らの方が正しい。だって今あなたは人間だと言い張るが死んだら幽霊のお仲間になる。無神論者は死んでも行き先がない。その辺で浮遊してるだけなのか?
正月三ヶ日は竈の神様は休日なので、火と包丁を休める為におせち料理を食べる。酢蓮根とか美味しいよね。
八百万の神々は一神教に敗北し、人間界から早々に姿を消した。古き良きアニミズムも科学によって馬鹿にされた。人間は神様を馬鹿にすることで人間以下の霊性を獲得した。つまり互いにディスり合う世の中を選んだりのである。目くそが鼻くそをあざ笑う社会の到来である。
人間は少々進化しても高が知れている。より高次の存在に移行したければ、神という概念を引っ張り出して来るしかない。さて人間にそれが出来るか出来ないか、じっくり見守りたい。