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そもそも感情って何? 「四苦から四楽へ」

第一章 「存在の四局面」

人間の実相はいつも生老病死の四局面として展開される。

つまり誕生しても何れ老いて病んで死んでいく。

それは宇宙も国家も陸地も太陽系も全て同じです。

だから国家が滅亡したからと云って嘆く必要も無いし、大陸が海に沈んだと云って悲しむ必要はさらさら無い。

なまじ陸地があるから陸生生物に留まり、進化が停滞してしまう。

大陸や陸地が海に沈んでくれるお蔭でマイホームを捨てる気になり、宇宙船暮らしが促進される。

大陸の死は陸生動物から中空生物への移行を促します。陸地自身の生老病死も理解しましょう。陸地とは味噌汁に浮かぶ豆腐やネギみたいな物です。

第ニ章 「感情の役割」

ある女の子がワンちゃんと散歩したかった。それをワンちゃんに拒否られるとわ~んと泣き出します。つまり人間は起きた現実に一喜一憂します。一喜一憂を楽しみたくてこの世に産まれて来たのでしょうか?でも現実ってそもそもイリュージョンであって、プロジェクションマッピングなんですよね。

人間は喜怒哀楽し、一喜一憂します。その際その場面で本当にその感情で合っているかどうか深く考えたりしなくて、半ば無意識に自動装置としてそう反応しています。だから人間の感情は「パブロフの犬化」されています。そのことに疑いを持ったり改変していってやろうとは考えつきません。現実と言うドラマを観て一喜一憂する、ゴキブリを見たらギャーと叫んでスリッパで引っ叩く、これを自動運転として実行するのでゴキブリも浮かばれません。

喜怒哀楽を体験して楽しみたい、それも人生の一局面では有りました。でもそこにメスを入れていきます。泣く代わりに怒っては駄目なのか?色んな感情があるけどどれが最適な感情なんだろう。怒りっぽい人もいれば、泣き上戸の人も居ます。悲劇のヒロインになりたい人もいますね。

そもそも感情は起きた現実に対する「自分の反応」と言うことでいいのでしょうか?人間は、泣いたり笑ったりする生き物だから「現実に反応する機械」でいいんでしょうか?

それともそうでは無くて、「感情」は元来もっと別のことに使うべきだったのではないか?

もしも現実がイリュージョンだとしたら、そのイリュージョンに「反応」する「感情」にもさしたる意味は見い出せません。

第三章 「感情の等級」

バシャールやエイブラハムは明らかに感情をランク付けしている。つまり、ワクワクや感謝が上位で、怒りや恐れや不快は下位に属する。人間は怒りや恐れが下位の感情なのだと言う意識はあまり持っていなかった。

感情の原点は「快と不快」「好きか嫌い」なのでしょう。そして人類は生きていくうちに「不快や嫌い」と言ったネガティブフィーリングを頻発させる習慣を獲得していった。

だからバシャールに不快でなく快を、恐れでなくワクワクを選択して行くんですと言われて驚いた。だってこの場面は通常、怒りや哀しみであってワクワクは選択しないでしょうと当惑した訳です。感情とは現実に対する条件反射的反応と思い込んでいたから、自分が好きに選べるのだと考えたことも無かった。

こうして人間は少し賢くなった。自分の感情を単に現実に対する反応として使うのでは無くて、常により心地よいものを選択していくツールとして使うのです。

「より心地よい方を選ぶ」、何故ならそっちが「本当の自分」が居る方向だからです。感情はこうして本当の自分が居る方向を指し示す羅針盤の役割を果たすようになって行きます。

感情は、「反応」から「指針」へと進化した訳です。







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