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1C-3Cの朝鮮半島南東部と出雲・九州の土器出土状況を勝手にまとめるコーナー 【俺の邪馬台国】

昨夜ググってたら、最寄りの遺跡センターでパートタイム募集していて条件確認したら、パートタイムといってもフル勤務で、かつ大学または大学院で考古学修めてることが必須条件で、断念。ハードル高めの条件設定で、残念w。そしてたぶん自分の会社でサイドジョブは禁止されてる。残念~。ああいうところってなぜ写真撮れないんだろうね。それがとにかく残念で仕方ない。レプリカでさえ撮影禁止の謎よ。

さて、下記釜山大学の李教授の半島・西日本双方の出土情報をまとめます。このスライドの動画も下に張り付けておきます。こういう情報、ありがたいよねー!!!!ずっと探してたのでとっても貴重な情報です。ちなみに島根大学発の動画なのですが、リンク先のサイトのアンケートに答えると、島根産ジャムが抽選20名に当たるらしいよw。貴重な情報ゲットしたうえに、ジャムももらえるかもしれないなんて、そんなオイシイお話しがあるのでしょうかw。念のため応募しておいた。パン食べないけどw。これ読んでいただいているそこの貴方もいかがでしょうか?w(わしは誰やw)

昨日も出したこの鉄器発掘状況を踏まえてみていただけたらと思う。私の仮説が成り立つには、狗奴国が出雲である必要があるのですね。で、出雲吉備あたり、鉄器数が非常に特徴的な推移をしてるでしょ。これは私の仮説をサポートできるので喜んだのですが、よくよく見ると熊本も出雲と同じ増減具合なのです。これじゃあ、熊本が狗奴国という説も同時に成り立ってしまうのです。

なので、どのようにすれば熊本が狗奴国じゃないと証明できるかというと、★「半島で熊本の弥生中期後期土器が出土していること」がもしわかれば、熊本が福岡方面経由ではなくダイレクトに交易をしていたことをサポートできます、しかしこれだけでは弱い

★熊本ー福岡間の土器状況から交流形跡を見れるかどうか。お互いの土器がお互いの土地にあれば、同時それは、熊本の鉄器増加期において、熊本がダイレクトに半島と交流していたといより、福岡経由で鉄器を獲得していたということになる。狗奴国は”もとからずっと”一貫して不和だったはずなので、狗奴国≠熊本と解釈できる。これはこの動画説明には含まれていないので引き続きググって探してますw。

ついでに古代の日本海海流図もあったのでちゃんと見てないけどとりあえず張り付けときます。下記からお借りしました。

https://www.xhimiko.com/%E8%AB%B8%E8%AA%AC%E6%A4%9C%E8%A8%BC/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E8%AA%AC/%E4%B8%B8%E6%9C%A8%E8%88%9F%E3%81%A71000km-%E9%A9%9A%E7%95%B0%E3%81%AE%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA/

ということでいきます。ほしい箇所だけかいつまんでおります。

A:朝鮮系無文土器の西日本での出土状況

①円形粘土帯土器
韓半島青銅器時代後期にあたり、中国からはいってきた製作手法。この土器は青銅器とともに副葬されていることが多い。
主に円形粘土帯土器段階には青銅器がともに副葬されている。青銅器の生産と深くかかわっている。
★日本での出土時期:弥生時代前期末~中期に集中
★日本での出土場所:九州北部がほとんど。移住・長期逗留を伴っているケースが考えられる。

三角形粘土帯土器
三角形粘土帯土器段階には鉄器がともに副葬さ.れている
★日本での出土時期:弥生時代中期後半~後期初頭
★日本での出土場所:70点出土。。西日本各地で散発出土。舶来品ばかりで模倣品はない(現地から持ってきたものであり、移住などを伴わない)。

粘土帯土器出土分布図↓。山陰からは円形・三角・模倣品円型が出ているが、三角土器は、九州より山陰地方にむしろ多く出土。

B韓半島南(東)部から出土した日本型弥生土器

下記3か所から弥生土器が出土。ほとんどがサチョンエリアの勒島遺跡。この遺跡では中国方面からの遺跡なども出土するが最も多いのが弥生土器。そして90%が九州北部産特に遠賀川西域産であり、さらにほとんどが弥生時代中期の弥生土器である須玖Ⅱ式土器(中期後半)。器種がセットで出土することからこの時期に倭人が移住した可能性が考えられる。(弥生時代中期後半=AD80-90年頃)

一方で、弥生中期後半から後期初頭になると、これまでの九州遠賀川西域に加え、遠賀側東側~山陰産の特徴を持つ弥生土器が出土するようになる。

以上。

出雲視点でまとめると、弥生後期の出雲ー朝鮮南東部とのダイレクト交流(倭人の訪韓、韓人の訪日両方)が突然起こり、短期在留型の物資交流であった(移住ではない)。つまり1C後半~2Cにかけて、急な形で出雲が既存九州ー半島南部の鉄資源を、横から参入する形で、交流し始めた。したがって、出雲の鉄器が急に下記後期で増えてるのは、九州北部から支給される形での鉄器獲得ではなく、ダイレクトに朝鮮半島と交流した結果獲得した鉄器だった。

ここから私の頭の中:

Q 出雲の鉄器輸入の目的は何か?

可能性①武器としての鉄
可能性②産業としての鉄

これらを餌にして、吉備以外の近隣勢力を取り込んでいった。吉備は既にはやくから結託済みか。おそらくいずもの戦略としては、戦闘による攻略というよりは、農耕を劇的に生産効率上げる鉄という道具により、惹きつけていく、という産業軸でのリーダーシップにより東国への勢力拡大を目指したのだと思っている(今のところ)。特に吉備とは密接に同盟を結んでおり、吉備を東国拡大への足場として、鳥取を北陸方面拡大への足場として利用した。その結果、鉄器は出雲経由で吉備・鳥取に大量に集まった(そこから東国に出荷して勢力を拡大することに、しかけていた。)。※鳥取から同土器の出土が出雲より少ない&吉備からは1つも出ていないことから類推。

出雲が本州で勢力を拡大していることに気づいた九州。やべーと思い、真向衝突。どうしたらいいのか。このままでは第一勢力は出雲になってしまう。そして3C半ば、魏に相談した。

っていう筋書き。成り立ちますが。その場合狗奴国として解釈できますが。

では、熊本が狗奴国でないことの証明を次のステップでしていきたいと思います。いまのところ手持ち情報ゼロですw。そもその熊本産と北部産って区別できるのかも不明ですw。今晩寝る前にさがそ。寝る前に探すとついつい朝方まで探してしまうのだよね。そして始業3分前に起床するというありさまw。


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