銅鐸の動物模様:鹿編

銅鐸は現時点で約500点出土していて、そのうち初期の銅鐸に、いくつか動物の模様が彫られているものがあるそうな。銅鐸初期=弥生時代中期、”聞く”銅鐸時代。

登場する動物:シカ(銅鐸絵画の半数を占める)、そのほか鳥・トンボ・魚・カマキリ・トカゲ・カエル・イノシシ・クモ・イヌ・ヘビ・カニ・不明動物・人物・建物・船

うーん。パカっとボディが外れる系が多いのか?節足?脱皮?基本的に田んに登場する生き物なのは間違いなさそうだけど、鹿は田んぼに来たら困るよな~。

にもかかわらず銅鐸絵画には鹿が圧倒的に多いとな。鹿は銅鐸だけではなく、弥生土器にもしばしば登場する気がする。鹿は当時の人々にとってどういう意味があったのかググってみた。

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弥生時代になると、精神的な面でも鹿が重要な役割を果たすようになります。吉凶を占うのに鹿の骨が焼かれ、また、祭礼の道具と考えられる銅鐸には鹿の絵が最も多く描かれています。また、日常生活の土器にも鹿の絵が見られるようになります。古墳時代になると鹿のはにわが作られたほか、角は加工して刀の柄(つか)などに、皮はなめして弓を引くときのひじ当てなど、ますます広く使われるようになります。

捕獲して焼いたり煮たりして食べたり道具にしたりしてるということは、神聖な動物というわけでもないのか。うーん。

鹿って、稲作には害獣なんじゃないかなと思ったんだけど。。。

弥生時代になると、中国大陸から稲作が伝わって来ることで、ヒトの移動や文化も中国や朝鮮半島の影響を強く受けるようになります。こういった文化の変化にあわせて、新たな信仰の対象としてシカが注目されるようになりました。土器や銅鐸などにシカの絵がたくさん描かれるようになります。それはなぜでしょうか?現在も様々な場所で、神事として「鹿の角切り」が行われていますが、その主な目的は五穀豊穣を祈ったものが多く、秋に行われます。シカの角は秋に落ちて春先に生え代わるという特徴を持っていますので、その様子は発芽から収穫までの稲の成長と同じと考えられていたようです。

うーん。解せない。鹿の角切りとはなんぞや:

九月ぐらいに袋角の皮が剥けて、しっかりとした角になる。落ちる *5(図版 0-2)たびに角は大きく生え変わり、五年目で四尖の角へと成長し、完成形となる。毎年、角が生え変わるが、そのことに復活再生の力を見たのであろう。おそらく、そのことが「鹿」が重要視される最大の理由であろう。https://opera.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=4375&item_no=1&attribute_id=19&file_no=1 ※中国の古代出土品では角が過度に美化されているとのこと。※ 「鹿の形象は、太陽の象徴であった」とされている。太陽は復活再生の象徴であるが、「鹿」の角にも同様の意味があるため、「鹿」と太陽が結びつけられたのかもしれない。

鹿が太陽とな。。。ますます解せなくなってきたw。

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で、なんでそれを狩るんですかというと・・・

①”鹿”という漢字が日本書紀で登場する回数で2桁は下記:

神代下16件 天鹿児弓と天鹿児矢※。 鹿葦津姫(ニニギ君の嫁)。太占。吾田鹿葦津姫。   ※第一陣 天鹿児弓と”天羽羽矢”

景行天皇~成務天皇15件

皇極天皇紀34件 ※蘇我入鹿のせいなので省略。

②太占 鹿骨で占うのは、中国ではメジャーではない。日本では大変メジャー。

卜部氏:古代の祭祀貴族の一つで、卜占(ぼくせん)による吉凶判断を業としていた氏族である。亀うらないのみか。占部・浦部・浦邊とも表記する。奈良時代の筑前国の戸籍には卜部の氏人が多数見られ、古代宗像神社に仕えた家の後裔とする。江戸時代には黒田氏(東蓮寺藩)の家臣となった。伊豆・壱岐・対馬三大卜部。これ以外は日本古来の太占に由来する氏族とみられる。対馬卜部氏=対馬県造家の対馬県氏(対馬県直)の一族。対馬県直については、祖である建弥己己命を天穂日命の曾孫(高皇産霊尊の5世孫)とし、出雲氏族とする。

対馬文字:※わし神代文字とかまでいっちゃうといよいよオカルトっぽくなってきてできれば避けたかったのだけど、対馬文字って本当にあるんでしょか?信憑性、あり?

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E9%A6%AC%E6%96%87%E5%AD%97

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③鹿児島

由来:古くは桜島のことを鹿児島と呼んでいたという。 鹿児島そのものの名の由来は、野生の鹿の子が多く生息していたからとか、火山を意味するカグという言葉からとか、多くの水夫(かこ)が住んでいたからとか、さまざまな説がある。「鹿児島」の語源は、天津日高彦穂々出見尊(山幸彦)が海神宮(わたつみ)に行く際に乗った舟が鹿児山で作られたという説や、「神籠もる島」という説、「カゴ」は崖という意味で、四方が崖に囲まれている桜島は「カゴ島」と謂われ、鹿児島は桜島の古い名であるという説、など諸説ある。








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