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つづき:8人の女と、同じ釜のメシ

記紀を調べていて気付いたのですが、Y染色体議論ってあったでしょ?女系天皇を認めるかどうかによる論争で、男系のY染色体が維持できないと。で、記紀を見ていると、臣籍降下というのがありまして、平安ごろまでの有力豪族というのはだいたいこの臣籍降下で、男系の皇族が、民間人になって豪族氏族になってるわけなのです。平群も物部も蘇我も、なんなら神話レベルまで真に受けてしまえば隼人も熊襲も同じY染色体ww。ということは、日本書紀的なY染色体を真に受けるならば日本各地に皇族のY染色体って散らばってますよね?w。ということに気づいてしまった昨日w。

ここから本題:

それで、磐井氏族というのはいったいどこから来たのかというのが分からないのですが、一説には、隼人とも熊襲ともいわれていまして。しかし今度は隼人と熊襲の出自がわからない。どうやら先に書いた日本書紀・古事記の物語では、いずれにしてもこれらの部族あるいは集団が、「俺らヤマト系統と同じ出自で分かれた。そしていう事聞かないからやっつけた」ということの繰り返し物語化しているように見受けられます。

で、磐井というのは石井とも書きまして、石人族であったことからも石・岩と何かしら関連があるようなのです。そしてこの件は一回ここで置いといて、

鳥:魚=ヤマト:ハヤト  何気に韻を踏んでいるヤマトとハヤト。

花:馬=木花姫はニニギの嫁。ヤマト:はやと?石人石馬。しかしヤマトにも馬あるし。

これ👇

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石人古墳のひとつ、江田船山古墳で出土した刀といえば、ワカタケルの記載がある剣が有名ですが、こういう彫りもありまして、馬・花・鳥・魚が描かれているそうでして。この魚を鳥が丘っけているようにも見えるような見えないような絵、海幸彦と山幸彦を思い出しますでしょ。そう、山幸彦の系統は結局ヤマト政権になっており、海幸彦は隼人系の氏族になってるわけです。そして江田船山古墳のこの刀は、ワカタケルの記載があることからもおそらくヤマト政権から授与されたものなので、それを磐井が持ってることの意味ってなんだと思います?この絵の意味するところって、「おれたち兄弟仲良くしようぜ」的な親和関係を象徴するものとして贈ったのかしら。

で、結局隼人と熊襲って別物?おなじ?というところに戻ってくるわけなのですが、この辺が非常に、揺れていて・・・決着ついてないようでして。。。熊襲というのは狗奴国だったという説が結構有力だったみたいで、じゃあ熊襲ってどこにいたのというのは不明で、さらに隼人はどうなるのだ?という。じゅしゅこく?だっけ?小人の国があるのだけど、そこになるのか?とどんどん迷宮に入っていくのです。なのでここでは隼人と熊襲の区別についてはホールドさせていただき、だいたい九州南部にいた人たちということでひとまとめにさせていただきます。しかしながら、鹿児島南部のDNAと北部DNAは異なっていて、北部DNAは北部九州により近いということだけ書いておきます。

それで、話を石に戻して、石といえば先日書いたイワナガ姫。石長姫。女。

★イワナガ姫の特徴=絶世のシコメでとにかく醜い。ヤマト系のニニギに婚姻を断られる。丈夫で長く繁栄することの象徴。振られたあとどこいったか消息不明。

で、いろんなトピックが散漫として恐縮なのですが、自分でもまだ整理できておらず・・・話を戻して、八女の少し南部にある遺跡から、また女性の頭蓋骨が発見されてるのですが、これが異様な形をしており、人工的にゆがめられた顔を持った女性なのですね。こういうのが2体くらい発見されてるようです。全部女性ね。これを取り上げてるテレビ番組があったのですが、結構怪しい番組でして、しかし博物館の館長さんの説明で、「生まれてすぐに板を両側から挟んで骨格を変えていった」と明言してたので間違いないのだと思う。こちらがその頭蓋骨とその復元イメージ。目の高さがチグハグになり、顔全体が平面になり、あごだけ飛び出しているそうなのです。。。skull deformationちょうどいい説明動画があったのですが、見つけられない!見つけ次第追加張り付けしておきます。この変形頭蓋骨の女性は、弥生時代中期ころの支配階級の女性という研究結果だそうです。他の海外の事例のように頭を高くするのではなく、顔をフラットにしているようですね。顔がフラット・・・何かと結びつくかしら。なんで顔フラットにしたんだろね。

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トンカラリンはおいといて、頭蓋骨、計4体、人口変形があったものが見つかってるみたいですね。そして全部女性。しこめ。

頭蓋骨の形状を人工的になぜ変形させるかというといろいろなパターンがあるようですが①宗教的意味合い②部族区別表示③高貴さ・身分の仕分け④美観とのこと。

それで、この変形頭蓋骨の歴史というのは地球全体で奥深いのですが、ヨーロッパ・アフリカ・インカなど有名ですが、なんと同じ手法で変形させてた歴史が中国にもあるようでして:

中国の仏僧で旅人でもある玄奘三蔵法師(602年 - 664)は、17年に渡るインドへの旅が『西遊記』を書くきっかけになったが、中国西部の新疆ウイグル自治区カシュガルの人たちのことも記述している。"そこではごく一般的な両親から生まれた赤ん坊たちが、木の板で頭蓋をはさんで平たくされている"と。

福岡~八女を調べていると、女性の古墳が非常に多いことに気づくわけなのです。平原遺跡(伊都国)なんかも骨は見つかってないけど副葬品から女性の権力者ということだそうで。他にもたくさん女性の権力者の墓があるのですよ。そして八女という地名って、8人の女もしくはたくさんの女。女がたくさん。八女の地名由来で最古までさかのぼると、日本書紀に下記のような記述。年代はおおよそ紀元前後のお話だそうです:

”この地方に女神あり、その名を八女津媛といい、常に山中にある”という

女がたくさん。。。女の権力者がたくさん。そして弥生時代の遺跡からは変形頭蓋骨の権力者の女性。そして八女。そして醜女イワナガ姫。

そして5Cの磐井。。。つながるようでつながらない。

呪術を軸にした女権勢力でつながっていた。そして何かが起こって、磐井という武力&石&男に塗り替わった九州。そしてヤマト政権は自称レベルでは武力統治ではなくシラス国宣言してる。でも実際やってることは武力。そういう意味で磐井とは親和性高く兄弟関係。そして日本書紀で描かれるヤマトとハヤトは、ヤマとウミ。何があったんだー!

磐井はんは、6Cにヤマト政権と争った時(磐井の乱と呼ばれているけどもここで磐井が滅んだかどうかには諸説あり)、ヤマトから派遣されてきたのが近江の毛野さんという方なのですが、その人に向かって下記のとおりのたまったそうな:

「今こそ朝廷の使者となっているが、昔は仲間として肩や肘をすりあわせ、同じ釜の飯を食った仲だ」

意味深すぎる。同じ釜のメシをヤマト政権と食ってたってことはやっぱ同族だったのか。当時、ヤマト朝廷に出廷して一定期間出仕するという慣例もあったようなので、奈良で知り合って、同じ飯食ってたのか。。。この解釈次第で大きく見方も分かれるところだけども。わかんねーですw。しかしですね、今こそ朝廷の使者だけどって、最初に言ってるでしょう?、でも、昔は仲間だったということは、仲間だったときは朝廷の使者ではなかったってことに聞こえませんか?朝廷に属していなかったころ仲間だったと。その時に同じ釜のメシくってたと。私にはそう聞こえる。

原文さがします。あった

於是、磐井、掩據火豐二國、勿使修職、外邀海路、誘致高麗・百濟・新羅・任那等國年貢職船、內遮遣任那毛野臣軍、亂語揚言曰「今爲使者、昔爲吾伴、摩肩觸肘、共器同食。安得率爾爲使、俾余自伏儞前。」遂戰而不受、驕而自矜。是以、毛野臣乃見防遏、中途淹滯。天皇、詔大伴大連金村・物部大連麁鹿火・許勢大臣男人等曰「筑紫磐井、反掩、有西戎之地。今誰可將者。」大伴大連等僉曰「正直・仁勇・通於兵事、今無出於麁鹿火右。」天皇曰、可。
対訳:今でこそお前は朝廷の使者となっているが、昔は同じ伴部として肩を寄せ、肘をすり合わせて同じ釜の飯を食った仲ではないか。どうしてにわかに使者となったお前に従えるか

うーん。いかようにでも読める。。。

たしか魏志倭人伝には、

 正始八年(247)、倭女王の卑弥呼は狗奴国の男王、卑弥弓呼素と和せず、倭の載斯烏越等を派遣して、帯方郡に至り、戦争状態であることを説明した。(王頎は)塞曹掾史の張政等を派遣し、張政は詔書、黄幢をもたらして難升米に授け、檄文をつくり、これを告げて諭した。
 卑弥呼は死に、冢を大きく作った。直径は百余歩。徇葬者は男女の奴隷、百余人である。さらに男王を立てたが、国中が不服で互いに殺しあった。当時千余人が殺された。また、卑弥呼の宗女、十三歳の壱与(イヨ)を立てて王と為し、国中が遂に安定した。張政たちは檄をもって壱与に教え諭した。

またドツボにはまって落としどころがなくなってしまいました。

仮説。無理やりw。

~3C 邪馬台国連合 女権勢力を中心とした呪術を軸にした同盟。狗奴国と争う。したがって狗奴国と邪馬台国はかなり近いエリアで隣接。狗奴国は磐井の出身地。邪馬台国よりやや南がメイン拠点。

4C   中国さんの仲介による鎮圧むなしく、狗奴国が邪馬台国を武力で制圧。磐井勢力の起源となる。女権中心の終了?

はあ、迷宮w というわけで気分を変えて、明日は視点を変えて、随書倭国伝にありますアメタリシヒコについて調べます。日本書紀に記述なしなのですが隋書倭国伝、阿蘇山のことも記載している。ちかづけそうな予感。ゼロベースなので今晩調べねばw。

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